琵琶なぞやっていると、本当に色々なところに出入りします。そして年々その幅が広がってきています。世の中そんな風に渡っていると、音楽家に限らず多くの芸術家にも出会いますが、他のジャンルから琵琶を眺めてみると、琵琶のような特殊な楽器には、プロという人がほとんど存在しない。 かわりに「プロのようなつもり」の人が多い。それはまあ面白いものを生む場合もあるので良いと思うのですが・・。
お店をやるには、美味しい料理だけでは成り立ちません。店構えから接客、値段設定、コストや利益の計算等々、ありとあらゆることを考えて、それらが上手く回ってはじめて一軒のお店が成り立ちます。それと同じように音楽家も舞台全体に対する責任があるのです。ただお稽古した十八番だけを好きなようにやっていたいのなら、アマチュアでいれば良い。プロでやりたいのであれば、演奏内容は勿論のこと、衣装から照明から、プログラム、受付対応に至るまで、舞台全てに責任を持たなくてはいけない。小さな世界の中で、お稽古の成果しか演奏しようとしない、そんな音楽を、世の中の誰が聴くのでしょう??
現在では邦楽より雅楽の方が断然集客力があります。お客様の中には勿論趣味で稽古している人もいますが、近頃は関係者以外の人達がわんさか押し寄せているのです。
これはひとえにプロデュースの成功と言えるでしょう。スターが出たと言う事も大きいし、「雅楽がいかに魅力的なものか」をしっかりと宣伝している。演奏家ははっきり言って、今までのものをそのままやっているだけなのですが、雅楽は周りを取り巻く環境がしっかりしているのです。だから凄い集客力があるのです!。そして、最初から最後まで舞台を構成するノウハウが、伝統的に備わっていることも確かな事です。
私は「一流と二流の差は歴然としている」と思っています。生徒集めてお稽古付けているという程度はセミプロ。つまりプロではない。街のお師匠さん。
オリジナルでは未だ仕事できないけれど、色々なところに呼ばれて、それなりにお金も頂いているのは三流。
自分がリーダーとなって、小さいながらも舞台を張れて、且つオリジナルで勝負しているのが二流。
そして一流は自分のオリジナルを多くの人が支持し、大きな舞台を張れる人。これが私の中での区分です。
一流には一流の器があると思います。この器の大きさが一流と二流の差。一流の技術は確かにずば抜けて凄いですが、二つの差は結して技術では無いですね。
自分も含めて、ネガティブな思考を超えられない人もいれば、自分一人だけでがんばっていて、この道で生かされている感謝を忘れてしまっている「我見の徒」も多く見受けます。この辺が器というもの。
私は自分の器以上には成れませんが、この器でやれるところまでやっていきたい。高いギャラも一流のプロの条件ですが、それ以上に後々までも残って行くような音楽を作り、演奏して、内容充実でやりたいものです。
そして志の高い日本音楽家にもっともっと出会いたいのです。