少し涼しくなっては来たものの、台風では気が休まりません。穏やかな秋の空が待ち遠しいですね。
明日は舞踊作家協会の公演で演奏してきます。
舞踊作家協会の公演には、もうずいぶんと参加していまして、そのたびに色々と曲を作って、その曲が色々な形に変化していったりしてます。来月出るCDにも、そんな曲が入ってます。
もう何年も前に、舞踊作家協会の公演をアートスフィア(現 銀河劇場)でやったのですが、800人近いお客様の前で、私が壇ノ浦を弾き語り、モダンダンスの藤里照子さんが踊りました。AKGのマイクから劇場いっぱいに広がる音に、藤里さんの鬼気迫るダンスが乗り、素晴らしい舞台になったのを忘れられないですね。さて、明日はどうなるか???
前回のブログでは「普通 常識」ということをだらだらと書きましたが、芸術系の人は基本的に皆さん個性的な方が多いです。つまり普通が通じないという方がいっぱい。
人間は社会の中で生きて行くので「普通」や「常識」という暗黙のルールというものが必要なわけですが、対個人となると「価値観が違う」などと言って自分を主張します。そうした両方がバランスが取れていないと、社会生活が難しいのでしょうが、最近の世の中を見ていると、どうもバランスが崩れてきている感じがしますね。




これらを見ているといつも多くの事を考えさせられます。それぞれに風情があるけれど、どれにも優劣が無い。あるがままの姿をしているので、我を主張している風も無い、それぞれの価値観などというものが無い。季節の中で、季節に任せて淡々と存在している。
人間は「価値観」という言葉で、己の感じ方、イデオロギーなど、個としての主張を繰り返します。特に芸術家はそれが激しいですね。 昨今は「価値観の相違」の一言で別れてしまうことが多いのですが、その自分のしっかりと持っていると思い込んでいる「価値観」はどこから来るのだろう。実は小さな偏見や訳も無いこだわりだったり、間違った情報に踊らされているだけかも知れません。
人間はそうした外からの刺激に常に振り回されて生きて、それを「価値観」という言葉で都合良く形にしているようにも思えます。
そんな人間達を、この蓮の花はどんな風に見つめているんだろう。
私の音楽はどんな風に聞こえているんだろう。