梅雨空の想い

武満さんの曲に「Rain tree」というピアノ曲があります。私は雨の日になるとこの曲を良くかけて過ごすのが定番です。何だか気持ちが落ち着いて、毎朝入れている珈琲もつい2杯目を飲みたくなってしまいます。

 

この秋にCDを出します。今月末に録音をするのですが、今回は楽琵琶と笛の作品集です。雅楽ということではなく、シルクロードを風と共に渡ってきた音楽、雅楽も含め汎アジアの音楽、というくくりで作品を色々と書いてみました。アラブ風やちょっとフラメンコ風もありますが、それらは琵琶という楽器を手にした時に、自然に出てきた、楽器から発する偶然、必然の響きをそのまま音楽にしました。雅楽という様式や伝統を一度離れて、琵琶が辿ってきただろう土地に想いを馳せ、この琵琶が鳴りたいように鳴らしてあげよう、と想いながら作った曲ばかりなのです。

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実は、もう発売記念のコンサートまで決まっています。毎年定番の北鎌倉古陶美術館(名称を古民家ミュージアムと今年に入って変更したようです)で10月1日にやりますので、是非お越し下さい。

私は琵琶の音色が好きなので、CDはすべてインストの琵琶の曲になります。私が弾き語る「経正」をどうしても聞きたい、なんていうありがたいことをおっしゃってくれる方もいるのですが、私の中では琵琶弾き語りは、私の考える琵琶楽のほんの一部でしかないのです。私は私。自分の音楽を発表し、聞いていただき、それを生業としてゆくのは、ジャズでもクラシックでも同じ事だと思います。

これからは楽琵琶でのソロ・デュオも今後もっと旺盛にやっていこうと思っています。今回のCDはその宣言みたいなものです。

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私は薩摩琵琶を弾いても、楽琵琶を弾いても私でしかないのです。残念ながら納得するまで追及してゆくと、何を手にしても、何をやっても、最終的には流派などという小さな組織は飛び越えてしまう。琵琶楽の歴史や、日本の文化については常に考察を怠らないですが、○○流の塩高には成れないのです。かつてジュリアンブリュームが、アンドレスセゴビアに「俺の所に来い」と誘われた時、「私は第二のセゴビアに成るつもりは無い。私は第一のブリュームである」と言い返した言葉が有名ですが、私はその言葉を聞いた時いたく感動しました。まあ生まれつきの天邪鬼ともいいますが・・・。

自分が考え、作り出した物を聞いていただき、糧を得て、生業としてゆく。音楽家は古の昔より、それしか道は無いのです。その為に古典を読み、他の芸能に通じ、その見聞を広げ、作り出す世界をより深く大きくしてゆくのです。世阿弥は「古典を典拠にせよ」と言っていますが、単なる独りよがりの小さな世界観では、深みのある作品は作れません。オタクのように自分の世界以外の物に、興味も価値も見出さないようになったら、すでに音楽家として終わりです。音楽家は常にあらゆる世界と通じ、時代の最先端を行かなくてはいけないのです。まして肩書きに寄りかかるようになったら、その時点で終わりです!!

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私は琵琶のあの音色をもっと響かせたい。弾き語りでも独奏でも、世阿弥や利休、芭蕉が作り上げた日本の感性と哲学を受け継ぐような、現代そして次代の琵琶楽を作り上げたい。大衆芸能にどっぷりの琵琶は、私の考えるものでは無いです。それはそれでやる人がいるでしょう。私は洗練され、研ぎ澄まされた音楽こそ、自分のやるべきものと思っています。

聞き手もどんどん変わってゆく、その感性も変わってゆく、時は刻一刻と過ぎてゆくのです。あなただったら何処に向かいますか?

外の雨を眺めながら、ふつふつと想いが湧いてきました。

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