さよならだけが人生ならば、お前の言葉は何だろう

もう過ぎてしまいましたが、5月4日は寺山修司の命日です。

                   寺山4

83年に亡くなってもう28年。まだ47歳だったとは最近知りました。昔は若いとは全然思わなかったですが、今見るとその顔も、確かに若い感じがします。現代に寺山が生きているなんてことはありえないですが、生きているとしたら、まだ70代だったんですね。
私はことさら寺山のファンではないのですが、彼がやった仕事は実に面白いと思っています。飄々とした雰囲気を持った異形の天才でした。

寺山1短歌から始まった彼の生き様は、演劇、映画、戯曲、競馬予想まで、とにかく留まる事を知らず、凡人にはその広がりに当時は付いてゆけない人も多かったと思います。
私も生きていた当時は自分が若すぎた事もあって、何をやる人だか全然判らなかった。後になって、彼の遺したものの面白さが判ってきたのです。

私だけの感じ方かもしれませんが、寺山の仕事には「何とも言えない暗さ」が漂っていました。あれが時代の風だったのかもしれませんし、訛りのあるあの東北弁がそう思わせたのかもしれません。
70年代のちょっとアングラな雰囲気は、別に憧れているわけでも何でもないので、私にとってはその色加減はあまり魅力ではないのですが、それよりも、それまでの社会通念や常識をどんどん飛び越えて行く寺山の姿に魅力を感じます。

あの頃は土方巽や大野一雄、武満徹などなど異形の天才が闊歩していた時代です。新しい時代が沸き起こってきた頃と言っても良いかもしれません。今となってはもう彼らも皆故人ですし、すでに一時代として、一天才として認識されていますが、当時は保守的な旧勢力との激しい戦いがあったことでしょう。
武満徹は「こんなものは音楽以前だ」と当時の音楽界の権威 山根銀二から批評され、映画館に入って泣いたそうですが、そんなもんではない壮絶な戦いがあったと思います。(余談ですが、その後武満が世界的になったことで、山根はその権威をすっかり失い、武満の逸話には未だに山根の名前が付いてまわるのです)

             寺山2
何度も書いていますが、私は誰かの後ろをコバンザメの如く付いてまわり、引かれたレールの上を走る優等生が好きになれない。また私が琵琶の永田錦心、水藤錦穣、鶴田錦史を常に評価するのは、そのパイオニア精神であって、彼らの名人ぶりを評価している訳では無いのです。
だから正直に言って彼ら名人が遺した作品は私の好みでは無いです。自分で弾きたいとは今でも思いません。まあ時代が時代ですから、感性も随分と違うと思いますが、何しろ私は死ぬまで自分の音楽をやろうと思います。琵琶を最初に触れた時からずっとそうだし、琵琶に出会って、「これで思っている音楽がやれる」と思ったものです。平曲や雅楽など古典琵琶楽の良さを感じたのはずっと後になってからなんです。

薩摩琵琶もこれから100年、200年と経って、古典として認知され、後の世の人がその魅力を感じてくれるようになるには、もっと旺盛な創造力がないと残って行く事すら危ういですね。

永田錦心永田錦心が正にそうでしたが、どの時代にあっても、その当時の既成概念や、通念、常識を超え、塗り替えていく姿、時代の真実を暴き、最先端を切り開く、彼らの視点こそが魅力的であり、そういう感性が常にあるからこそ時代が作られ続いてゆくのです。そして私はその精神に惹かれるのです。

寺山は確かに言葉を操る天才でした。名言のような言葉はいくらでも残っています。「なみだは人間の作るいちばん小さな海です」なんて、いかした言葉を沢山残しているのです。しかし、残った言葉や作品はもちろんですが、それを生み出した感性、精神、活動にこそ魅力があるのです。眼差しをその先に向け、自分が生を受けた時代を目いっぱい生きて、走った、その眼差しこそが現代の私を惹き付けるのです。
    
              寺山3
   
天才は皆異形であるというのが私の持論です。そして私は異形の天才に興味があるのです。
私の1stCD「Oriental eyes」でライナーノーツを書いてる詩人の河村悟さんは、土方巽さんの最後の弟子だし、やはり同じ1stで共演しているチェロの翠川敬基さんは、フリーミュジック界を突っ走ったクールジョジョこと、高柳昌行さんの仲間でした。他共演しているTpの沖至さん、Dsの小山彰太さんなど、皆、当時最先端のはみ出し者でした。今は皆さんちょっとした有名人ですが、あの時代をとんがりまくって生きた人達は皆、旧社会の人間の引いたレールの上を結して走らなかった。

彼らがそんな魅力的な世界を見せてくれたからこそ、今、そういう精神と文化を受け継ごうとする者がいるのです。確かに現代はエンタテイメント全盛のように見えますが、まだまだどうして、AKBだけでは世の中動かない。まあ優等生だらけで、社会にも時代にも背を向け、小さな世界に生息している邦楽界よりは、AKBの方がよっぽど時代を作っていると思いますが、この現代でも寺山や土方の轍を乗り越えようとする者がいるのです。

もちろん琵琶界同様、あれだけの風が吹いたにも関わらず、その先人達の轍しか見ず、先人の目指した世界を見ることもなく、物まねして雰囲気に浸っているだけの者もかなり多いですが・・・。

美唄の山
さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう

さよならだけが人生ならば お前の言葉はなんだろう  寺山よ

photo MORI Osamu

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.