私は多感な高校生の時にJazzにどっぷりと浸かっていたので、どうしてもJazzの匂いがする所に惹かれてしまいます。もうこれは拭いきれないですね。
琵琶なぞをやっていると珍しいのか、色々な人に声をかけられ、多くの人に出会うのですが、その人がJazzを通り越して来た人なのか、そうでないのかは直ぐに判ってしまいます。別にどちらが良いという訳では無いのですが、同じ匂いのようなものには何かしらのシンパシーを感じてしまうのです。
Jazzが身に染み付いている人もいれば、Jazzを纏っているだけの人もいます。音楽家でもアドリブを聞いていてJazzを感じない人もいます。あの時代特有の匂いなのかもしれませんが、若い人にはJazzの匂いのする人は少ないですね。
今夜はフラメンコピアニストの安藤紀子さんのソロライブに行ってきたのですが、彼女の演奏にもJazzを感じてしまいました。彼女は元々Jazzから入ったそうで、フラメンコを演奏してもその奥底にJazzがあるんでしょうね。
こちらが安藤さん。今日はちょっとおすまし気味ですね。
安藤さんの演奏は「情」という言葉が似合います。フラメンコはよく情熱という言葉で表現されますが、彼女の演奏には情熱だけでなく、叙情、詩情という言葉もまた似合います。もちろんフラメンコの人ですので、喜怒哀楽がはっきりしていて、さっぱりさわやかなお人柄なんですが、その演奏からはJazzを基本とした叙情・詩情性がいつでも聞こえてくるのです。
今夜はオープニングの「こきりこ節」から彼女の「情」が溢れていました。まるでリッチーバイラークが弾いているかのような詩情溢れる繊細で抜群のアレンジメント。安藤さんにはぴったりの選曲と演奏でした。
二部に弾いた「Turn out the star」 とハンコックの曲(曲名失念)、それからオリジナルの「再生」「さくら」はどれも詩情・叙情に溢れ、音楽に身を預けることが出来ました。
今でも感じるのですが、やはりJazzは私の原点だと思います。作曲に関してもクラシックではなくJazzの手法が根底にあるし、演奏に関しても感性は伝統邦楽のそれですが、演奏方法はJazzが基本になっています。実際の演奏はロックテイストに溢れているようですが、これはまあ性格ですね。やはり自分が浸っていられるのはJazzなのです。まあそこが私の帰る港ですね。
安藤さんの演奏を聴いていたら、リッチーバイラークの「Sunday song」に全身を震わせ、エバンスの「People」で癒され、コルトレーンの「Impressions」に熱狂し、ドルフィーの「Last date」にとち狂い、マイルスの「Kind of Blue」に洗脳されていた「あの頃」が甦ってきました。嬉しいでも悲しいでもないのですが、眼がウルウルとするこの感じは久しぶりに味わいました。
そんな安藤さんと10月、11月に共演することとなりました。楽しみです。