風の街にて

先日神戸で演奏してきました。神戸は、かなり前に某大学で特別講座をやらせていただいたのですが、三宮の街や港を見るのは、先月に伺った時が初めてでした。最初は何だかちょっと横浜っぽいな、という程度の印象だったのですが、今回は東京とは違う独特の風を感じました。

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シンエナジー本社での演奏会の様子

今回も、この所お世話になっている能楽師の安田登先生とSpacの俳優 榊原有美さんとのトリオでの演奏でした。主催はシン・エナジーという、エネルギーを基軸に自然との共生を目指す活動を展開している会社の主催でした。
シン・エナジー https://www.symenergy.co.jp/

今回主催してくれたこの会社は「未来の子どもたちからの 【ありがとう】のため、生きとし生けるものと自然が共生できる社会を創造する」というのがテーマで、常に先の展開まで考えて仕事を創っている会社なので、とても共感できる話を聞かせて頂き、嬉しかったです。
今年は自粛期間が長かったこともあり、色々な人と話をしたのですが、世の中あらゆる意見や見方があるという事がよく判りましたね。普段は音楽や芸術の事しか話さない人も、このコロナ禍では色々と考えたり感じたりしているのか、良い話も、驚くような話も沢山聞かせてもらいました。やはり対面で話をすると、思わぬ話題に展開したりして面白いですね。Zoomの画面越しでは、話せる話もままなりません。
5色んな人と話をしていると、その人の今の状態というのがよく判りますね。私の状態も何か感じてもらっていることと思いますが、何か活動を展開している人は、あらゆるものから多くの何かを受け取る力を持っている、と最近よく思います。逆に何か活動が行き詰まっている仲間をみると、かたくなに成り過ぎて、言葉もものも受け入れることが出来ないでいる状態の人が多いように思えます。一途な気持ちは大事ですが、頭を柔らかくして視野を大きく持つことが必要ですね。そして何よりも目の前の事をただ頑張るのではなく、何に向かって頑張っているのか。自分がこれからどうしたいのか。何故そうしたいのか。そういう所がはっきりと見えているかどうかがとても大切です。特にこれは音楽家には本当に大事な部分で、多くの音楽家は「売れる」ことに一喜一憂してしまい、飛び回って動いている自分に酔って、本来の目的(初心)をいつしか忘れてしまうのです。
松林屏風2

かの長谷川等伯も、お寺が建立されたと言えば営業をかけ、営業活動に大変いそしんだそうですが、それは全て、描きたいものを描くためにやっていたのです。
先を見ずに突っ走っていると、見えるものしか追わなくなるので、どうしてもキャパが小さくなりがちです。時には自分とは基準の違うものにも目を向ける位のキャパが、是非欲しいですね。
現代日本は特に、社会全体に渡ってそういう柔軟な部分がどんどんと失われているように感じます。私はSNSはやっていないのですが、時々見聞きすると、個人の感情を吐き出すようなものが目につきます。極端なことでも何か書き込めば、フィルターバブル現象によって、必ず上辺だけ共感する人が出てくるのでしょうが、自分の基準でしかものを見ないようになると、多様なものを受け入れる力がどんどんと失われて、見えるものも見えて来ません。社会から離れオタク化して行ってしまいます。

日本人は特に「きちんとしている」「普通」という感覚が変に強く、自粛〇〇などにも代表されるように、内容や理由に関係無く、形が整っているものを求め、自分と違う行動をする人や異質なものを排除したがります。多様性を受け入れるのが本当に下手です。
そして今の社会は、中身を見ずに表面の形で判断し過ぎではないでしょうか。つまりは物事に深く接しようとせず、外側の「きちんとしている」ものばかりを追い求めている、近視眼的な傾向にあるのでしょう。旨い酒を飲むのに余計な口上は要りませんし、良い音楽を聴くのに、つまらん肩書や受賞歴も必要ないでしょう。「風の時代」という事も盛んに言われ出していますが、もうそろそろそんな見かけで動くような世の中は終わりに来ているのではないでしょうか。
枯木鳴鵙図
宮本武蔵作 枯木鳴鵙図
私は昔の武道の達人たちにも興味があるのですが、歴史に名を残す様な方々は、皆さん見ているところが違いますね。実に幅広く世の中を見渡して、且つその上でミクロのような武道の技に心を向けている。宮本武蔵など良い例ですが、あらゆるものの中に武道の技や神髄を見て取り、我がものにしてしまう。「一道は万芸に通ず」なんてことも言っていますが、やはり頭が柔軟で、しかもとびぬけて鋭かったのでしょう。世阿弥も同じことを言っていますが、利休、芭蕉、琵琶の永田錦心などもそうだったのではないでしょうか。周りの物を見て、そこから多くのものを受け取り、時代の最先端を創り上げてしまう。勉強した事しか判りません、という人が多い現代の世の中ですが、こういう姿勢を持って過ごしたいものです。

そしてもう一つ、最近気になっているのが、陰陽のバランスです。しなやかに活動を展開している人は、陰陽が整っている。陰陽というと漠然としていますが、体の動き一つとっても、全体が連動して動くことはそのまま陰陽のバランスといってよいでしょう。私はそこがとても大事なように感じています。
古武術の稽古でも、陰陽の話しは常に出てくるのですが、人体というものは、世の中や地球そのものと言ってもよいような構造をしているもので、肉体や精神が整う事は個人のみならず、社会が良くなる事でもあります。

右手を動かそうと思ったら、右手だけで動かしても大した力は出ません。一つの動きには体全体が関わっていて、体全体が連動する事で小さな動きも十分な力を発揮します。これを自分の行動活動全てに当てはめてみると、何かに囚われて、一部分しか見えなくなっている時は、陰陽が連動していない状態です。だから大した成果は出ません。技に囚われ音楽が見えない時、売れる事ばかり考えて活動している時、こういう時は良い音楽は出て来ませんね。

陰陽を言い換えると、響き合っているともいえるかと思います。地球も国家も社会も人体も、皆すべてに言えることです。つまりは地球環境でも人体でも、すべては連動し、共鳴し、響き合っているという事です。そこを無視して目の前の事だけをやろうとすれば、どこかに無理が出て来ますし、また将来へ負の遺産を残すことにもつながってしまいます。
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琵琶樂人倶楽部にて photo新藤義久

現代社会では、あまたのストレスや情報で心も体も陰陽のバランスを崩しているのではないでしょうか。このままだと、本来のものの姿は見えて来ません。人間も社会も政治も、どんどんと偏狭な世界に走ってしまいそうです。このコロナパンデミックも、今一度現状を考え直してみる機会を与えられているのかもしれませんね。

いつもと違う風を身に受けて、想いが広がりました。

 

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