やっと周りの音楽家やアート系の人々が活発に動き出してきました。この所そんな面白い方々と会って話をしたり、音合わせをしたりすることが多くなりました。
特に声を使ったアーティストと話していると、語る言葉が音楽になっているような人が少なからずいますね。私も自分の弾く琵琶は言葉にならない部分を音にするように心がけていますが、何かを表現しようとする時に言葉だけ、または歌や語りだけでやろうとしてしまうと音楽全体が小さくなってしまいます。優れたアーティストは、どこを言葉にして、どこを楽器の音色にすれば良いかを本能的に解っていますね。そこが一流と二流の分かれ道ということでしょうか。
琵琶の音を単なる伴奏としか考えられない人は、自分の弾く音が言葉になっていない人が多いですね。琵琶に語らせることが出来て初めて琵琶奏者だと私は思っているのですが、なかなかそんな人に出逢った事は無いです。言葉にならない想いをどれだけ琵琶の音で語る事が出来るか、そこが大切であり、魅力だと思いますし、それが出来るのが琵琶という楽器だと思っています。従来の琵琶歌は全部ストーリーから心情・背景迄言葉で説明してしまって、琵琶は合いの手にしか入れない。私はここが一番気に入らない部分でした。だから流派の曲は一切やらないのです。TVも無い大正時代辺りに発展した芸能ですから、もう今の感覚には合わないのでしょうね。何事も言葉を尽くすよりも「沈黙」や、無言の「眼差し」の方がよっぽど伝わる事も多いと私はいつも感じています。如何でしょうか。
糸口を貝プレートにした塩高モデル
ヴィジュアルが溢れ、情報が溢れすぎている現代においては、言葉を並べて説明するのはごくごく少量でいい。リスナーには理解ではなく「感じて」もらうのが私の仕事だと思っています。言葉を出せば出すほど、時間軸は先にしか進まず、ストーリーを追いかける事に終始し、どんどんと平面的になってしまいます。話を理解しているだけでリスナーの想像力は掻き立てられること無く曲が過ぎてしまう。
悲しさを伝えるために言葉で「かなし~~」とやってしまっては陳腐そのものだと思いませんか。見せる事が出来ない涙や、言葉に出来ない心の奥底の想いこそ、琵琶の音が代わりに深く語るのではないでしょうか。感情は音で表現する。情景も音で表現する。直接の言葉ではなく、琵琶の音という抽象表現だからこそ、聴衆の中にその想いが無限に広がり伝わるのです。理解よりも、共感そして感動迄リスナーを掻き立て初めて私たちの音楽が成立するのです。表現と技の御披露を勘違いしている演者があまりに多いと私は思っています。
今、この辺りへの考察が日本の伝統音楽の最重要課題だと私は思っています。従来のやり方に固執し、表面の形に囚われ、過去をなぞる事に終始していたら、本質や核の部分は伝わらず、次世代にはどうなってしまうのでしょうか。現代の世、そして時代に世の中に、どうしたら日本音楽の魅力を伝える事が出来るのだろうか。今は器と腕の見せ所、正念場ですね。
しかしそんな伝統音楽の中でも能だけは、そういう言葉を超えた所がふんだんにありますね。私はそこにとても注目しています。今後、能こそ次世代へと日本の文化を伝えて行くキーワードになるとも思っています。能の言葉を超えた世界こそが私の胸熱ポイントです。それはリスナーの想像力を旺盛に掻き立てる事にもつながり、時間軸を軽々と超え、音楽や舞台そのものを立体的に表現するのです。
言葉にならない所を琵琶で表現し、琵琶を歌わせるためには、先ず楽器をコントロールする高いテクニックが必要なのは言うまでもありません。
ギターでも楽器を歌わせることの出来る人はなかなか居ないのですが、まあ歌うギターと言えば、筆頭はジェフ・ベックでしょう。1975年にリリースされた「Blow by blow」はエレキギターの表現力を世に知らしめた名作だと思います。ジミヘンから始まり、ジェフ・ベック、ヴァンヘイレン、ブルースですとデレク・トラックス辺りがその良い例でしょうか。ヴァンヘイレン以降は表面的なテクニックは物凄く発展して、聴く度にどうやって弾いているのか想像も出来ず驚くばかりですが、その技術で弾く為にディストーションの音質が平面的になってしまって、音数ばかりが多くなっています。言葉で何でもしゃべって説明する語り物と同じく、自分では表現しているつもりでも、情感・情念を感じるようなフレーズを弾く事が出来ないプレイヤーが増えてしまいました。
ジミヘンもヴァンヘイレンもBB・キングも、皆ギターを歌わせることの出来るプレイヤーは、どこか「一音成仏」の世界と繋がっているような気がするのですが、最近は皆さんその対極に行ってしまいますね。よくブログに登場するジョー・サトリアーニも歌わせるという点についてだけ言うと、今一歩だと私は思っている位です。以下のデレク・トラックスのような、ギターがそのまま声になっているような演奏をする人を最近はとんと見かけませんね。
薩摩筑前の琵琶の場合は、まだ流派が出来て100年程の若い芸能ですし、弾き語りから始まったせいか、どうしても声や言葉から離れられず、琵琶本体を歌わすことが出来る人が居ないのが残念です。
永田錦心は音楽のスタイルをモダンにしたことが素晴らしい功績ですが、琵琶は単なる伴奏以上のものではありませんでした。水藤錦穰は今でも誰も追いつけない位のレベルの演奏テクニックを確立しましたが、やはりどうしても歌う・語るという所から離れられず、あれだけのテクニックがありながら、琵琶の音色で器楽の分野を確立する事をしませんでした。鶴田錦史も「春の宴」で器楽的なものを少しだけ弾きましたが、あれを発展させるような楽曲は創りませんでした。武満作品などの器楽曲は弾いていましたが、琵琶を歌わせているとは私には思えません。
琵琶は実に多彩な音を持っています。これは三味線とは随分と違う点だと思います。先ず調整次第で音が充分に伸びる所が良いですね。そしてその音をベンドアップダウンして自在に声のようにコントロールさせることが出来、且つヴィブラートも自由自在にかけられる。音色も鋭くも甘くも出来る。これは現代で言えばディストーションの効いたエレキギターのように、必要に応じてリアとフロントのピックアップを切り替えたり、トーンを調節したりする事と同じです。更に打楽器的奏法をうまく活用すると、ハムバッカーのゴリゴリの低音にも負けない迫力のドライブ感とうねりが出せるし、あらゆる情景をこすったり叩いたりすることで演出できるのです。オケに匹敵するような表現力を持っていると思います。日本の楽器の中では、他に類を見ない唯一ともいえる表現力を兼ね備えた楽器が琵琶ではないでしょうか。
それを実現するには絃やサワリのセッティングなどをかなり詰めて吟味しなくてはいけませんが、そういう調整をほとんどの方がしませんね。どうしても頭の中が伴奏楽器の概念を超えていない。独奏楽器としてのポテンシャルがこれだけあるのに実にもったいないと、私は琵琶を手にした最初から感じていました。だからこそ塩高モデルの開発に着手したのです。私の大型琵琶は時々ブログで紹介するヴァンヘイレンの「Eruption」のあの低音のうなりを琵琶で実現したいが為に石田克佳さんに相談して創り上げたのです。
コルトレーンやジミヘンが60年代の終わりに世を去って、一つの時代の節目を迎えた頃から、キング・クリムゾンが「21st century Schizoid Man」を69年にリリース。前述の「Blow by blow」が75年、そしてこのEruptionが出たのが1978年。ジャズではマイルス・デイビスの「in a silent way]」「Bitches Brew」が69年。「Agharta」「Pangaea」が75年。72年にはチックコリアが名盤「Return to Forever」をリリース。そして80年の奇跡の復活から新宿西口特設会場での伝説となったLiveを記録した「We want Miles」が81年。今やジャズ界のレジェンドとなっているウイントン・マルサリスが18歳にしてアートブレイキー&ジャズメッセンジャーズでデビューしたのが80年。その間、かのECMレーベルが69年に誕生。新たな世界観を全世界に示し、キース・ジャレットの「ケルンコンサート」が75年、79年にはラルフ・タウナーの「Solo Concert」がリリースされ、その後アルボ・ぺルトの衝撃的な初作品集「TABULA RASA」が84年にリリース。クラシックではギドン・クレーメルが、まだ無名だった現代の(特に東欧の)作曲家をどんどんと紹介していったのも70年代後半からです。つまり60年代後半から80年前後辺りは、世界の音楽界が正にひっくり返るような大変革の時期だったのです。
琵琶界では鶴田錦史が活躍していた時期と重なりますが、あの頃、鶴田錦史がこういう当時最先端の音楽に耳を傾けていたら、琵琶ももっと多様な表現が花開いて行っただろうと思いますね。鶴田は楽器の改造などにも関心があったそうですから、自分の好みを別にして世界の音楽事情を敏感に感じ取っていたら、器楽としての琵琶をもっと弟子達に託していただろうと思わずにはいられません。さすがの鶴田も、そこ迄の視野は持っていなかったのでしょうね。残念です。
私は琵琶のその音色に惹かれたのです。とにかく琵琶を弾きたかったのです。私が2番目に習ったT師匠の所に最初に稽古に行った時、「私は琵琶歌には興味が無いので、琵琶だけ教えてください」と稽古を始める前に先ず宣言するように言い放ったことを今でも忘れませんね。師匠はニコニコしてましたが、どう思っていた事やら・・・。
まだ10代の頃、マイルスの復活ライブをこの目で見て強烈な衝撃を感じ、同世代のウイントン・マルサリス・山下和仁の世界デビューを見て、ぺルトやラルフ・タウナーの世界に感激しまくっていました。そんな若き日に作曲の石井紘美先生の勧めで、琵琶楽という全く未知の世界に飛び込んでいきました。古典文学や和歌は子供の頃から身近に在り、興味もありましたので、琵琶の音色はすんなりと染み入るようなものを直感しました。しかし勇んで足を踏み入れてみたものの、いざ入ってみると、忠義の心だの合戦ものなんかを得意になって声張り上げて歌っていて、ろくに琵琶を弾いていない。その姿には違和感しか感じませんでした。
こんな魅力のある音色を持った楽器なのに、そこにはこれまで私が貪るように聴いてきた創造性も、先端を突き進もうとする勢いも全くありませんでした。だったら創るしかない。という訳で、最初から私は琵琶を、私の作品を弾く為の楽器という位置づけで考え、オリジナルモデルの開発で自分独自の音色を追求し、それが古典世界と繋がり、そのまま最先端の日本音楽へと向かって行ったのです。この25年程の活動で作品も60曲以上出来上がり、CDアルバムも8枚、オムニバスの作品集が2枚、現在楽曲は50曲以上がネット配信されています。今回ヴァイオリンとのデュオを5曲、樂琵琶のソロを1曲リリースしますが、これだけの作品を世に出して行くことが出来たことはとても嬉しいです。様々な逡巡も失敗もありましたが、充実したものになったと感じています。そしてこれからも20年、30年とこうして活動を続けて行こうと思っています。言葉ではなく、あくまで琵琶の音色を歌わせ、どこまでもその音色で最先端の日本音楽を語り、表して行きたいですね。