雪景色の記憶2014

今年も雪が降りましたね。私は東京に来て初めて雪を体験したので、雪を見ているとどうしてもわくわくしてしまいます。吹雪いている様が、ちょっと今の日本の状況を思い起こさせるようでした。

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昨年もそうでしたが、今年もずっと部屋の中に居て、雪の降るさまを眺めながら色々と想いを巡らせていました。
つい先日はローザンヌ国際バレエコンクールで、日本の若者が1位2位を取ったなんて素敵なニュースで盛り上がっていましたが、すぐ後にはゴーストライターの事件などもあり、世の中は本当に留まることが無いパンタレイなのだな、と思いを巡らせていました。
今日本では音楽でも何でも、目先優先の低レベルのビジネスがまかり通っている、と感じる方も多いのではないでしょうか。ショウビジネスの世界はもう醜い所まで行ってしまったとしか思えないですね。先日のSTAP細胞の研究者の記事でも、研究の事そっちのけでゴシップ記事のようなものを書き連ねるマスコミは、もう醜いを通り越して危険だと思えて仕方がないのです。

ゲッペルス私は音楽に限らず、マスコミで大宣伝して売っているものはどうにも違和感を感じてしまいます。物事の周りだけを取り上げ、勝手に雰囲気を作り上げ、消費者を乗せて、そのものの実態には触れさせず、それが世のスタンダードだとばかりに洗脳してゆくような手法は、まるでゲッベルスと同じではないかと思います。だから本体以外に色々と尾ひれがセットになって売っているものは、自然と避けてしまいます。肩書きや受賞歴ぶら下げている伝統邦楽の先生方も私にとっては同じ事。尾ひれや看板が先に来て、それを必ずくっつけていないと気が済まないような方々には大きな違和感を感じます。

音楽芸術に対しどんな聴き方、接し方をしても良いと思います。しかし音楽・芸術なんてものは所詮ただの添え物、賑やかし、お楽しみ、そんな程度のもんだ、という考えが、今でもこの国のスタンダードな考え方というのだったら、もうこの国は終わりなんじゃないかと思います。文化や知性にこそ誇りを持つべきであり、それこそが、国家というものではないでしょうか。音楽や芸術に感動し、論じ、その素晴らしさを伝え語って行く人がもっと増えて欲しいものです。
何でもかんでもエンタテイメントにして、売ることが全てに優先し、目の前の話題性、派手さ、楽しさを求め、演じ手側も受けを狙って奇抜な格好や、派手な演出でそれに媚びようとする。ビジネスなら何でもアリでは、今回のようなゴーストライター事件も起こって当然なのかもしれません。

紅梅4

ゴーストライター事件後に、実際に作曲をしたN氏一連の作品を初めて聞きました。彼は作曲家の中でも最先端の現代音楽を専門とする人だそうですが、現代音楽を勉強しそれを専門にしているという事は、何を差し置いても芸術に人生を捧げているという事です。でなければ現代音楽の作曲活動はとてもやっていけるものではありません。
現代音楽は全くお金にならないどころが、演奏してもらおうとしても、かなり高度な教育を受けた演奏家でないと演奏出来ないし、当然ギャラもかかる。クラシックファンからもあまり支持を得られないし、簡単に評価を頂ける訳でも売れる訳でもない。志だけが支えとも言っても過言ではない生き方をしているという事です。

問題の作品はそれなりのレベルで出来ていると思いますが、あくまで「お仕事」として書いたものでしょう。現代音楽の専門家が自分の作品としてマーラー風、バッハ風のような過去をなぞった作品を書くという事はありえない。たとえ理解されないとしても最先端をえぐるような、自分の品を書くはずです。事情は解らないですが、私は彼が自分の持っている高度な技術・知識・才能をあのように切り売りしてしまった事が何より残念です。生活の為にお金を目的としてやった訳でもなさそうですし、18年間もああいう事を続けた意味が私にはどうしても理解出来ないのです。
彼の本来の作曲作品もYoutubeなどに出ているようなので、ぜひ聞いていただきたいものですが、「HIROSHIMA」に感動したと書き連ねている人達は、どれだけ彼の芸術家としての本来の作品に賛辞を贈るのでしょうか・・・・。上っ面だけ聴いて、適当な事を書いていただけではないのでしょうか。

御苑2012

最先端の技術や知識を持つ者は、志も高くなければならないのです。ビジョンや志無き技術・知識は人間の邪悪な部分を誘いだし、結果的には悲劇を生む。軍事技術始め、例を挙げるまでもなく歴史を見ればどんな分野に於いても明らかです。まことに残念ながら、彼の類まれなる技術が佐村河内という人間の欲望をどんどんと増長させ、ショウビジネスのお金に群がる人間達を呼び込んでしまった事を考えると、彼が18年間何を想い作曲に取り組んでいたのか私には解りません。

彼を擁護し、同情する意見をネット上で見かけます。知人や仲間達もこぞって彼を称えようとしています。「これを機に彼の才能がもっと評価されて欲しい」、「ぜひ音大に復帰させてあげたい」などという声も聞かれますが、それは本当に彼の為になるでしょうか。今ここで彼が仲間の好意に甘え、音大に復帰したとして、果たして彼はまた芸術音楽をもう一度生み出して行くことが出来るでしょうか。もし彼がそういう選択をし、事件の延長線上に居続けたらもう作曲は出来ないのではないかと私は思います。今こそすべてを捨てて、経済的なバックボーンすらも絶ち切って、パンの耳かじりながら孤独の淵に立ってでも、もう一度自分の求める芸術に真摯な態度で向き合う事が出来なかったら、彼はただのやさしい、評判の良い先生で終わってしまうような気がします。それは芸術家として死んだという事です。仲間や世間の人の応援は結構だけど、そういう甘く無責任で半端な同情が、彼を苦悩させ、一人の芸術家を潰してしまう。

北海道5音楽家は浮世離れして、自分の世界で生きている人がやたら多いですが、レベルが上がれば上がるほど、社会の中で音楽家として生きるという自覚が必要なのです。仙人みたいに籠って己の世界に留まっている人間は所詮二流。声聞縁覚の徒です。時間はかかりましたが、彼はやっとその自覚に至ったのではないかと思います。これまで自分が18年間やってきた事はどういう事だったのか、今彼は自分の中で反芻している事でしょう。
まだこれからが期待できる人だと思います。厳しいかもしれませんが、一切の甘えを絶って、是非今一度我が身の原点に立ち返り、真の芸術家になっていただきたい。これが名も無い琵琶奏者・作曲家の端くれである私からのエールです。期待を持って今後の彼の身の処し方を見守りたいと思っています。

紅梅6s

毎度書いていますが、文化は国家の基盤。文化があってこその国家。その文化の上に政治も経済も成り立っているのです。これからこの国の人が音楽を愛し、美に溢れ、芸術を語るようであって欲しい。音楽がその場限りの賑やかしで、盛り上がるだけで満足するようなレベルであって欲しくない。雰囲気で良かった、楽しかったというのも結構ですが、もっと芸術にまともに相対する人が増えて欲しい。下らないものは下らないとしっかり言える大人が増えて欲しい。この国の行方は、音楽家・芸術家、そしてそれを享受する市民にかかっている。マスコミやショウビジネスではない。一人一人の目と耳にかかっていると思うのです。

雪の日の徒然に想いが募りました。

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