またコロナの感染が増えてきて、今後の見通しか立ちませんね。来年も波乱の一年になるのでしょうか・・。舞台はどうなってしまうのでしょう。いずれにしても、魅力ある音楽が響く世の中であって欲しいものです。
今年最後の琵琶樂人倶楽部は、年末恒例のお楽しみ企画。今回は尼理愛子姐さんと尺八の藤田晄聖君。そして今回はスペシャルゲストとして安田登先生が、いつも率いているノボルーザの名和紀子さんと共に、漱石の「夢十夜」の中から「第一夜」と「第三夜」をやってくれます。勿論私も入り、第一夜では晄聖君も絡んでの演奏となります。会場のヴィオロンはとても小さな名曲喫茶でして、以前は特別な会の時にはぎゅうぎゅう詰めに座ってもらっていましたが、こういう時期でもありますので、空間を確保するためにも、今回は完全予約の形で、15名様限定でやることにいたします。いつもふらりと来ていただけるのが琵琶樂人倶楽部の良い所なのですが、今回は是非ご理解をお願いいたします。
先日の記事で「而」の事を書いたのですが、大変反響がありました。ありがたいことです。この「而」と共に私は、ここ数年でよく考えているのが、「自然(じねん)」です。仏教や武道では自然を「じねん」と読みますが、これは「はからい」または「必然」なんていう言葉で言い換えることも出来そうです。
人間は、何かをしようとする意思は誰しもあるし、それがあるからこそ、世の中が出来上がるのですが、「自分でやってやる」という個人の考えや作為よりも、「どうしてもそこに行くしかない」というような「はからい」や「導き」に身を任せると、個人を超えた世界が出て来るような気がします。これは私個人のこれ迄の経験から感じている事ではあるのですが、強い個人の意志だけでは届かない、もっと先の世界があるような気がしてなりません。
30代の頃、邦楽ライブハウス和音にて
若い頃は何に於いてもポジティブシンキングという事が第一で、強い意志が明日を創ると信じていました。しかし今は、それだけでは世界が小さ過ぎると思えてならないのです。個人の力でブイブイやっていても、かえって限界しか見えて来ません。音楽活動も、頑張るのは勿論結構な事ですが、自分が何かに「導かれる」ことを意識した時から、どんどんと広がって行きました。自己顕示欲を振りかざし、つまらない虚飾や肩書を纏い、凄いぞオーラを出してガツガツやっても、かえってその器の小ささが見えるように、個人という視点をいったん外した方が、大きな世界に繋がり広がって行くという事を、ここ20年で経験してきました。それは同時に自分自身であり続ける事であり、何にも囚われない素のままの自分を体現する事でもあると思います。活動も音楽そのものも、自分らしい「じねん」であるものには揺るぎないものを感じます。またその感覚を持てるかどうかという事が重要な要素だとも感じています。
某老舗のギターメーカーのゼネラルマネージャーは、若き日、初めてその会社の工房に職人として入った時に、「必然が系統立てられたようなギター制作の工程」に感心したと語っていますが、正に「じねん」とはこのことなのではないかと私は思いますし、また伝統や流派の型とは、そういうものだろうと思うのです。長い年月を経て伝わった型は、既に余計なものはそぎ落とされ、個人という小さな領域も超え、必然だけが残っている。創始者のスペシャルケースの技や形はとうに乗り越えていて、その流派なりの仕事をする上でのゼネラルケースが「じねん」で出来上がっているのではないかと思っています。
形や体裁を極端に求め、作りたがる日本人は、何でも伝統やら古典という形を纏いたがります。しかし付焼刃的な体裁に「じねん」はありませんし、また中身の内容も判らなくなってしまい、外側だけの体裁を残しているものは結局廃れて行くのではないでしょうか。
原宿アコスタジオにて
そして「じねん」には陰陽のバランスが整っているという事も、このところよく感じています。一つの節、そして一つの動作の中にも陰陽を感じますね。以前から陰陽の存在を感じてはいたのですが、武道を通して、陰陽があらゆる面に渡っていることを明確に感じるようになって来ました。全体に、そして細部に渡って、あらゆる単位に陰陽が存在するのです。
逆に陰と陽ではなく、陽と陽になったり、陰と陰になったりすると、存在の在り方が変りますね。そこにはある種のパワーが出たり、魅力も発すると思いますが、これは結構危うい。スキも多くなりますし、視点が一つになってしまって周りが見えなくなって、己のパワーだけで動いてしまう。これでは持続性も無いし、とても脆く、崩れやすい気がします。陰陽がバランスよく整うと、周りと調和して、無理がなくなり、全体が「じねん」につながる。そんな風に感じています。
今世の中を見てみると、どうも陽と陽になっているものが多いように感じます。確かに元気は良いのだけど、底が浅く、一発屋的で、しかも危なっかしい。思うに自分の外に軸を持っていると、外側の軸で自分も他人も、物事全てを測るようになって、それ故に常に自分を誇示し、確認しようとしてしまうのではないでしょうか。自分の中の軸を見失ってしまうと、本来自分が生きてゆく上で大事なものには目が行かず、さして必要の無い~お金や地位、学歴、他人に対しての優劣等々~ものに振り回されてしまいます。当然そこには「じねん」も陰陽も存在し得ません。
この「じねん」、そして陰陽は音楽活動についても言えることですし、曲創りにも、日々の行動全般にも渡っています。何か上手く行かない時、もやもやする時は、少し自分を見つめ直したり、周りを眺めたりしながら、陰陽のバランスを確かめ、自分のやっていることが「じねん」になっているかどうか確かめるようにしています。
琵琶樂人倶楽部も独自のペースでやったのが良かったですね。だから14年続いたのだと思います。あくまで自分のやれることを、自分で考えながらやって来ました。一つの視点や、考え方、そして一つのレイヤーに固執せず、流派からもジャンルからも飛翔独立して、幅広く声をかけていたからこそ、陰陽のバランスも整い、人が集ってくれるのだと、最近は感じています。
これからも「じねん」そして陰陽の二つを崩さないようにやって行きたいですね。
12月9日(水) 19時30分開演
場所:阿佐ヶ谷ヴィオロン
出演:塩高和之(司会・琵琶)
ゲスト 尼理愛子(琵琶)藤田晄聖(尺八)
スペシャルゲスト 安田登(能楽師) 名和紀子(俳優)
演目:まろばし~尺八と琵琶の為の 西風~尺八と琵琶の為の 風の記憶~琵琶独奏のための
夢十夜(第一夜 第三夜)他
料金:1000円(コーヒー付)
要予約 限定15名様