この所取り組んでいる曲が、なかなかまとまらず、書いては直し、また書いてと延々と繰り返しています。これだけ長引く曲も珍しいのですが、ちょっと発想を広げて、リセットしようと思い、私にとっての秘密基地 三鷹の国立天文台に行ってきました。
ここはいつ行っても人がほとんど居なくて、且つ明治神宮並に緑が多い。それに見学できる施設は皆大正時代に建てられたレトロなもので、そういうものが好きな人にはぴったりの癒し空間なのです。もう随分久しぶりでしたが、一人でゆっくりした時間を過ごしました。
私は旧い機械が何とも好きで、機械式時計しか身に付けないという大の旧機械好きなんです。車も旧いものに惹かれますね。全然運転はしないのですが、カルマンギアなんか乗ってみたかったですね。おかしなもんで最新の機械には何故かあまり興味が無く、旧い機械にどうしても惹かれてしまうのです。ここには60年代に世界で初めて開発されたばかりの水晶発振(クォーツ)時計や原子時計、さらにはバセロンコンスタンチン(タンタン)のクロノメーター迄あります。勿論天文観測の機械も色々あって、かつてこれで宇宙を見ていたんだと思うとぐっと来てしまうのです。
IMAXの当時の巨大フィルム2コマ。通常の映画フィルムは音声もフィルムの一部に録音されていますが、IMAXでは音声は別になっていて、大きさも通常の4倍ほどの大きさ。今は記念にしおりとして使ってます。
私はギターから琵琶に転向した最初、まだライブも何も出来ない頃、プラネタリュウムで働いていました。この施設はプラネタリュウムであると同時に、当時初めて東京に出来たIMAXの常設シアターでもあったので、映画好きな私にはうってつけの職場でした。今はIMAXも大変な勢いで3Dドルビーシステムなんて劇場が色々ありますが、当時はまだフィルムの時代。私は日々IMAXの巨大なフィルムを巻き取り、怪物みたいな映写機にセットして、予告編を繋げたりしてニューシネマパラダイスのトトような仕事をしていました。当時はまだIMAXにはドキュメンタリー作品しかなかったですが、スペースシャトルに特殊カメラを乗せて撮った映像や、海の中の映像など、なかなか他では見る事が出来ないハイクオリティーの作品を上映していました。そんな所で働きながら、ドームの中で毎日琵琶の練習をしていたのです。
映写機の方が主な担当でしたので、宇宙に関して詳しい訳ではありませんが、大きな世界の事を考えていると、俗世のちまちました出来事は気にならなくなりますし、人間本来の営みの素晴らしさも感じるられますね。また旧い機械を見ていると、人間がそれを使って未知のものに挑もうとしていた姿が見えてくるようで、とても興味深いのです。
国立天文台三鷹キャンパスは、直ぐ近くを野川という川が流れていて、その川べりも自然が多く、お店なども一切ないので、今回はこちらまで足を延ばして散歩しながら良い気分転換になりました。野川の左側には調布飛行場やJAXAの施設などもあり、空に興味のある人にはちょっとたまらないスポットなんです。
現代社会に溢れる情報や物は、とにかく目の前をエンターティンするものばかり。すぐ踊れて楽しくなる曲や、着るだけで様になる服、酒を飲んで気軽に盛り上がれるお店、見ている・読んでいるだけで面白い本や映画、そんなものばかりが溢れています。それは楽しいですが、皆思考を停止させるものばかり。楽しさが先行し深く考えることなく時間が過ぎて行きます。レクチャー講師で有名な方の講演を以前何度か聞きに行きましたが、とにかく楽しませながらしゃべるので、こちらの思考を巡らす時間を与えてくれない。その時は面白いのですが、よく考えると結構突っ込みどころがいっぱいでしたね。それだけリスナーの思考を楽しい方に誘導して、その場での思考を停止させる。まあ見事な話術だなと感心してしまいました。
私はそんな思考停止に追い込まれるものがずっと前から嫌でした。音楽でも文学でも、接している間に、こちらの創造力がかきたてられ、映像を感じてみたり、行ったことも無い世界を感じてみたり出来るそんな特別な時間を感じられるものが好きなんです。一方的に与えられるだけで、こちらがインタラクティブに参加することが出来ないもの、どうにも好きになれませんね。
20代の頃、ライブハウスにて
20代のはじめ、ナイトクラブでジャズを弾いていた時も、ただスタンダードナンバーを当たり障りなく垂れ流す仕事が嫌でした。水商売のドロドロとした世界もなじめませんでした。でも当時の給料はかなり破格のもので、大卒の初任給よりもらえたので、それに負けて何年も毎晩演奏していた日々だったのです。そこを抜け出せたのは、作曲家の石井紘美先との出逢いがあったからです。先生から琵琶を勧められ、元々興味のあった古典の世界と琵琶がつながり、本来自分が行くべき道へと人生が大きく方向転換しました。今思えば、あの頃の体験があったからこそ、こちらに来られたと思っていますし、ジャズを離れたからこそ、その良さも改めて再認識出来たのは、音楽家として貴重な体験をさせてもらったと思っています。
一方的に与えられるだけの世界、こちらが発信しても何も帰って来ない世界。こういう所は私の居たい所ではないのです。芸術でも何でも、自分が向かう世界に大きな魅力を感じ、その行く先から沢山の情報も体験ももたらされ、更にこちらの想いも掻きたてられ、同時に命の根本にもつながって、その大きな世界の中に居る自分を感じられる。それが私の行きたい世界なのです。天文台に時々足を運ぶのも、そういう世界を別の所から感じたくなるからです。
インターネットは素晴らしい技術ですが、SNSなんかは、かつて体験した小さな閉ざされた中のドロドロとした人間関係に絡み取られ溺れている、あの水商売の世界のようで、私にはそこに集う人間の想念や情念、自己顕示欲や承認欲求、そんな人間の業が見えてしまって、とても見聞きしてはいられません。最初は面白がってやってみたのですが早々に撤退してしまいました。流派や協会なども私にとっては同じで、一つの価値観の中を出ることが出来ず、皆がどこかでけん制し合って居るような枠の中には到底居られません。
無限に広がる創造性、未知なるものに対する魅力に溢れる世界。そんな大きな空を見上げていようじゃありませんか。「見上げる空は一つにして果てなし」