今日は地元を散歩しながら素晴らしい天気の下、紅葉を愛で秋を堪能しました。間もなく冬が来ますが、私は冬が大好きなので、これからが楽しみです。

今年は例年と違い、色んな事が変化しているのを感じます。社会は常に激動の真っ只中ですし、私個人の中でも様々な事が変化して行って、これ迄音楽活動をやってきた中でも一番の変化が来ているように思います。
年明けに10thアルバム「AYU NO KAZE」」を出したことが大きな転換点だったと思いますが、活動内容が随分と変わって来ました。以前のように全国を飛び回って演奏会をやって行くスタイルから、琵琶の曲を作曲し遺して行く事に気持ちが傾いています。毎月の琵琶樂人倶楽部以外では、いわゆるライブ的な演奏はかなり少なくなりました。来年からは自主公演的な演奏家もやって行こうと思っていますが、何か違うフェーズに移った感じがしています。また何故かここ4,5年で集まって来ている若者達を応援する事も私の仕事だと思えるようになって来ました。まあ年齢的にも一つのターニングポイントに来ていますので、色々と整理して見直して、次の時代に沿った活動に転換して行く時期という事ですね。音楽的芸術的な部分は益々磨きがかかって来たように思っていますので、この変化をどう超えて次に繋げて行く事が出来るか試されているんでしょう。
今日も散歩しながら、ぼーっと空を見上げていましたが、朝日や夕陽、そして星空は何とも言えず惹きつけられますね。ずっと見ていられます。8月に行った佐渡でも日本海に沈む夕陽は本当に素晴らしかったです。 空の無限の拡がりを目にしていると、現世の中で自分が囚われている小さなこだわりや、枠組み、ルール等々が客観的に見えて来て、何が自分にとって大切で、何から解放されるべきなのか見えて来るのです。人間はどうしても、何かしらの枠や集団の中で生きないと生きていけませんので、知らない内にその枠のルールが正解・正義のようになって、縛られてしまいます。自分自身がその枠に沿う事で安心するようになると、自分がその中に居る事も感じなくなるし、自分の行くべき道も見えなくなってしまいます。
どんな時代でもどんな状況でも、自分の道を歩まない限り自分の人生は生きられないのです。他人の遺した轍の上をなぞって歩いても自分の人生は全う出来ません。優等生になって褒められて嬉しがっているような器では、自分の人生は一向に開けて来ないのです。私は「見上げる空は一つなれど、果て無し」という武蔵の言葉が好きで、この言葉に対し様々に想いを巡らせながら空を見上げているのですが、いつも自分の行くべき道を空が教えて、導いてくれるような気がします。
私がいつも書いている永田錦心も鶴田錦史は最高のアヴァンギャルドでした。先人の轍の上に安住することなく、自ら轍を刻み、彼らなりの道を歩みました。私は彼らの新しい時代に新しい琵琶樂を創り出した、その感性に深い感慨を持っていつも見つめています。だからこそ私も私のやり方で、両先人のように自分の道を歩み轍を刻み、自分の音楽を創り出して行期待と思いずっとやってきました。自分の道を歩むという事が、彼らから学んだ大きな事です。それはいつも書いているマイルス・デイビスなどの他のジャンルの先人も同じで、彼らの音楽を真似するのではなく、及ばずながらも、その感性と姿勢をこそ受け継ぎたいと思っています。若者達にも、過去の轍の上でぬくぬくとせず、新たな自分なりの轍を刻んで行って欲しいですね。
私は琵琶での活動の最初に尺八のグンナル・リンデルさんとPanta Rhei (意味は万物流転)というヘラクレイトスの言葉をデュオの名前に冠して活動を開始しましたが、それも何かの縁でしょうね。時代と共に在りながらも、いつも自分自身であり続けたい、自分の想う音楽を創り続けたいのです。「媚びない・群れない・寄りかからない」は更にこれから更に徹底して行きたいですね。
以前にも少しお知らせしましたが、今年に入ってNY在住のエステル・ラムネックさん(タロガド奏者日本語HP エスター・ラムネック )とメキシコシティー在住のサウンドエンジニア アレハンドロ・コラビータさん、そして私の間で音源を何度もやり取りし合っていて、間もなくアルバムとして仕上がりつつあります。内容はアンビエントやサウンドコラージュと言えば解り易いでしょうか。
エステルさんの演奏するタロガドはハンガリーの民族楽器で、今でも自由の象徴としてよく演奏されているもの。そのタロガドと私の琵琶が出逢い、そこにアレハンドロさんのサウンドが加わり、正にボーダーレスな世界が広がっています。前衛的な作品なので聴き易いものではありませんが、リリースできるようになりましたら改めてお知らせします。
これから一番気分が高揚する12月です。更に自分らしい時間を生きたいですね。







