すさまじい台風でしたね。今年は台風や地震が相次ぎ、その被害も甚大となっていますが、日本の風土だけでなく、今までの価値観や感性が通用しなくなり、日本社会そのものが変化をしてゆく途上にあるような気がしています。大変な時代となりました。どの分野でも、今後の10年20年を見据えるような視野が必要ですね。
とはいえ日々の暮らしに振り回されている身としては、夏の暑さから解放され、涼しくなってこれから体が自由になる感じがしています。先日、伎芸天の姿に接してから、気分の方もぐっと落ち着いてきました。
京都光明寺公演の手作りチラシ
毎年この時期は、面白い仕事が来る時期でもあります。それまでやったことの無いような仕事や、行ったことの無いような場所での公演が必ず毎年入るのです。
今年も月明けには京都烏丸今出川の光明寺さんにて、声明と琵琶&笛という企画の演奏会があります。そのすぐ後には東洋大学での文化講座、そして佐渡の人形浄瑠璃「猿八座」との共演、さらに極楽寺稲村ヶ崎アートフェスティバルでは、アナン邸での演奏もあります。また月末には毎年恒例の地元阿佐ヶ谷のジャズストリートというジャズフェスがあり、今年はひと時琵琶奏者という自分を忘れて、一段とはじける予定です!。
この時期はまた変化の時期でもあります。仕事の内容が変わってくるのもこの時期ですし、人とのお付き合いも変化して行くのがこの時期なんです。不思議なのですが、初秋を境に少しづつ変化して、年明けには別の形で新たな仕事が始まって行くのが常なのです。
ここ10年程の時間は私に大きな変化と充実をもたらしました。自分の中のポジティブな面はより大きく歩みを進めた一方、ネガティブな面も浮き彫りになり、正に学びの10年だったと思っています。その10年という時間を導いてくれたのがH氏です。5年前、氏が突然に虹の彼方へと旅立ったこの時期は、やはり何か一つの終わりと新たな始まりの季節として、私の中に定着しています。
「はからい」とはよくここで書くことですが、大いなる存在を何かしら感じるようになったのも、H氏の影響が大きいですね。自分のこれまでを考えると、この「はからい」を感じずにはいられない、というのが正直な所なのです。
私は仏教の哲学性や、世界観には元々とても興味があったので、仏教に詳しかったH氏の言葉はすんなりと入って来ました。よく原始仏教の話などを聞かせていただきました。ただ私はパワースポットなどといって神社めぐりをするような、その手のマニアの感覚は全く持って無いので、先日の伎芸天を見ても、自分の中であれこれ感じることはあっても、仏像や神社仏閣に対し盲目的にすがってありがたく拝むようなことは一切しません。どれだけ有名なお寺であろうと、権威権力に対してへつらうような姿勢は持ち合わせていません。そんな私のスタイルも、H氏はすんなりと受け入れてくれたのです。
5年前の私 光が丘美術館演奏会にて
人は、何を考え、どこを見ているかで、まるで変わってしまうものです。同じものを見ても、感性が違えば全く違うものに見えます。また人の姿も、感性によって、服装から目つきから、姿勢体型まで変わってしまう。自分は自分だと思っていても、その「自分」にまた囚われて、振り回され、本来の自分の在り様が見えなくなってしまうものです。
私は、自分が思うように、欲望のままに生きてきたように感じていましたが、H氏に出逢って、自分を取り巻く鎧に気づかされました。憧れやら上昇志向やら、本来そんな鎧は背負わなくてもよいのに、いつしかそうした鎧を自ら着せてしまう。人間は業からはなかなか逃れられない生き物なのでしょうね。年を経るごとに、人間の心とはかくも脆いものかと感じます。
5年前、H氏のお葬式の日は、朝からずっと霧雨のような雨が降り続いていました。それはどうしてもH氏の死を受け入れることができず、現世の想いを断ち切れない自分の心に降り続く雨のようでした。5年が経って、自分のやり方で歩んで行けるようになりましたが、H氏によって気づかされた多くのことは、今でも大切な記憶として私の中に息づいています。こんな経験を通して年を重ねていくんでしょうね。
H氏に連れて行ってもらった、千葉香取市にあるスリランカの仏教寺院 蘭花寺
この秋はまたきっと何かを私にもたらしてくれることでしょう。それによってまた私は次のステップを踏み出して、新たな曲を生み出して行くと思います。