毎日ぶらついている私でも年末ともなるとワサワサ色んなものが動き出します。今年最後の琵琶樂人倶楽部も先日終わりました。今回は錦心流の子安幻水さんが初登場だったのですが、久し振りに端正な錦心流の節を聴かせてもらいました。年末恒例の愛子姐さんのパフォーマンスも絶好調で、会場の皆さんを盛り上げてくれました。
また先日は舞踊家田中いづみ先生の舞踊家50周年記念公演「TIMELESS」に行ってきました。いづみ先生とは舞踊作家協会の公演で御一緒させて頂いてから、もう随分と経ちますが、最近では、先生と花柳面先生などでやっている「Peace by Dance」の練馬文化センターホールでの2020年公演の最後の演目で、拙作の「Sirroco」を使って頂き、この所またお付き合いもさせて頂いています。今回の公演も、全体に現代の人間社会の持つ様々なドラマが展開されていて、実にドラマチックでワクワクとする作品でした。また若手の舞踊家も縦横無尽に輝いていて、次世代を感じさせる清々しい舞台でした。
私は琵琶で活動を始めた最初から様々な演奏家・舞踊家と舞台をやって来ましたが、皆さん本当に創造的で独自の世界を創り込んでいました。いつも書いているように笛の大浦典子さんやヴァイオリンの田澤明子さんという強力なパートナーは勿論の事、活動の最初に、寶山左衛門先生や津村禮次郎先生、花柳面先生等伝統邦楽の大御所の方々との出逢いは実に大きなインパクトでした。自分では実現し得ない舞台を沢山経験させてもらって、その世界に導かれ、それらが全て今の活動の糧となっています。また共演者として多くの演奏家と関わる事で、思ってもみないような活動の展開に繋がって行きました。本当に多くの人との関りの中で音楽を創り続けてきたのです。そういう出逢いがあったからこそ、その人と一緒に演奏する曲をどんどん作曲して、それらの曲がまた発展して、今の重要なレパートリーに成長して行き、結局は自分の音楽の世界を形作ってきました。 作曲の師である石井紘美先生の導きから始まった琵琶人生ですが、あそこが私の人生のターニングポイントでしたね。石井先生からは上っ面の感性ではないもっと深い所で音楽に接する事の大事さ等々、音楽に対する姿勢や眼差しの向け方を教わり、今私が持っている音楽性の基礎となりました。石井先生始め数々の出逢いは、正に「はからい」としか思えないようなものだと感じています。
人間生きていれば色んな出逢いもあるし、様々な経験もします。しかしその数ではなく、そこからどう導かれたかという事が、その後の人生を変えて行きます。現代はSNSなどで知り合いが増えて行くような時代ですが、その出会いは何をもたらしてくれるのでしょう。同好の人と知り合うのは良い事ですが、それがエコーチェンバー現象の内に留まって、かえってオタク化して、自分で大きいと思っているその知り合いの輪も実はガチガチの村になっていることも多いのではないでしょうか。邦楽なども、偉い先生は沢山居ますが、実はそんな状態にあるのかもしれません。
大きな視野と広く柔軟な眼差しを持つ事はいつの時代でも大切な事ですが、情報が沢山あるとか都会に居るからとか、そういう事で眼差しを持てるという訳ではない事は皆さんも感じているでしょう。どこに居ても、どんな暮らしをしても、そんな感性を育てて行ける人もいれば、ただ物に情報に振り回されて目の前すら見えなくなっている人もいます。現代の都会では後者の方が多いのではないでしょうか。世界中に行く事が出来て、世界の食べ物をネットで買えて、何でも手に入り、世界の人と簡単に連絡が取れる世の中ですが、そんな世の中だからこそ、物事を深く感じ、創造力をはばたかせ独自の世界を創り上げ、それがまた次世代へと繋がって行く、そんな姿勢と眼差しを持っていたいものです。
芸術家はともすると個人という小さな世界で、芸を磨くだの極めるだのと言って閉じこもって、この道一筋などという言葉に寄りかかり、独りよがりな自分の世界に留まり、オタク状態になってしまいがちです。しかしそれでは次世代へは繋がるとは思えません。常に次への眼差しがそこに無ければ、評価もされないし大したものも遺せないと私は常々思っています。
今は無き明大前のキッドアイラックアートホールにて 灰野敬二氏、田中黎山氏と
今は創りかけの曲がいくつもあり、来年はそれらを完成して、出来れば次のアルバムへと成就していきたいと思っています。尺八、笛、ヴァイオリン、そして声とのデュオをもっと創り上げたいですね。私の曲が次世代の人へと繋がり、琵琶樂がお稽古事から脱して、音楽として世界に羽ばたいて行く事を期待しつつ眼差しを向けて行こうと思ってます。





