先日、Vnの田澤明子先生とのレコーディングをやって来ました。動画の配信などは昨年一昨年と色々やって来ましたが、まともなレコーディングは久しぶりでした。スタジオも初めての場所でしたのでちょっと勝手が違いましたが、何とか無事に終わりました。マスタリングの仕上がりは来月末になるのでしばらく先になりますが、それぞれの曲はネット配信にてリリースします。
photo 新藤義久
こういう時期ですので、今後の活動自体は手探りなのですが、先ずは自ら足を踏み出してみると色々と見えてくるものがありますね。良い刺激になりました。演奏会のやり方も変えて行くべき時代になりましたし、それに連動してかネット配信がかなり進んできました。教授活動も少しづつ始めている事もあって、少し事務的な体制も変える事になりそうです。今後の新たな展開に期待したいですね。
最近はまた古典に親しむようになって来ました。まあ原点に戻るのは、次への一歩への一番の近道ですから、先が見えない時は、いつも源をたどるように心がけてます。という訳で最近は、古今和歌集(以下 古今集)についての本を改めて読み返しています。
和歌の感性は現代にもずっと続いていると感じていますし、そこから日本の音楽や文学、芸能全般が皆始まって、日本文化が出来上がってきたと思えるのです。明治期に正岡子規による古今集に対する檄文も、今また読むと、あれはあれで新たな時代を創って行く為に必要だったのでしょう。古今集を否定する事で、実はその源を継承している。そんな気もします。もしかすると今私が琵琶でやっている事も、同じなのかもしれません。水も淀んでいては、そこに命は宿りません。常に流れてこそ生命の水となり得ます。
長い時間と歴史の中でも変わらぬ根幹こそが感性。だから今、激動するこの時期にその感性の源を見直すことは、次の時代を創造する為にもとても大事な事だと思います。私はそれが古典であり、とりわけ古今集辺りがその源泉だと思っています。
例えば季節の風を身に受け、そこからさまざまな想いを巡らせて行く感性は、万葉集から既にあります。とても純粋でおおらかな感性を感じます。古今集は「続万葉集」として作られたと紀貫之の手記にもありますが、その風を感じる感性を「ことば」を使って表現というものに昇華して行ったと言ってよいと思います。その後の「新古今和歌集」になると、「ことば」の技法はどんどん巧みになって行きますが、古今集は「想い」を「ことば」で表現し、日本の感性を形あるものとして表した、日本文化の発露と言っても良いかと思います。だから今、私は古今集に眼差しが向いているのかもしれません。以前は新古今の方が好きで、いつも引用する歌は新古今の中から取っていましたが、今は断然古今集の方が気になります。
私は風を感じるその感性を音という手段で表現しています。私の作品には風がテーマとなっているものが多いのですが、「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」等の有名な歌をみると、「さやか」という言葉が単に「はっきり」とという形容の意味だけではなく、風の姿、更にはその生命をも表現しているように思うのです。私は研究者ではないので、勝手な解釈でしかありませんが、風を感じる感性が豊かな表現で命を得て行くのは日本語の素晴らしい所であり、きっとこの古今集辺りが、その源泉なのではないかと思っています。
私は琵琶を手にしてから、様々に思いを巡らせてきましたが、伝統邦楽はその源泉を今一度顧みて、それがどのように形に成って、音楽に成って表れているのか再確認する事が問われているように思います。
日本には千数百年前に出来上がった豊潤なまでの古典世界がある。それは正に目の前に広がる貴重な資源です。新たな最初の一歩を踏み出す為にも、この豊かな資源に改めて眼差しを向けて行きたいと思っています。

さて、今週は9日(水)に第171回目の琵琶樂人倶楽部があるのですが、初めての企画として、今琵琶に挑戦している人に弾いてもらう事にしました。こうした機会を作るのもそろそろ私の役割かと思い企画したのですが、勿論お浚い会のようにするつもりはないので、皆さんにはオリジナル作品をやってもらいます。私も普段弾かない曲をやってみようと思っています。
琵琶樂人倶楽部は今後も私の軸となる活動としてずっと続けていきますが、内容は常にその時々で変えてきました。少しづつ出演メンバーも入れ替えて、レクチャーを多めにしたり、演奏を多めにしたり、試行錯誤しながらやって来ました。多分一生試行錯誤を続けると思いますが、その時々で最良と思われる形を追求するのが活動だと思っています。
私は、時代を見る目はとても持ち合わせていませんが、変化を感じる事は出来ます。次のスタイルを繰り出し時代をリードする事は、それなりの器を持った人でないとなかなか出来るものではないと思いますが、私のような凡人でも自分のやり方を見直して、とにかく一歩を踏み出す程度の事は出来ます。私はショウビジネスの世界にいる訳ではないので、ギャラを優先し、その時々でに受けるものを追いかけて表現を変える事はしません。常に自分の思う音楽を創るのみです。まあ聴いて頂く環境や、プログラムなどを工夫して行く事は常にやっていますが、音楽は常に自分の裁量と思える作品を演奏させてもらっています。
これからは日々の生活に関しても、自衛していく意識が必要な時代です。音楽活動に関しても改めるべきところは改め、どんどんと自分の思う良い方向に持って行きたいですね。