早12月となり、もう冬の景色になりましたね。先日出雲に行ってきましたが、ちょっと寒かったです。今回は手始めに出雲市の書店「句読点」にて、安田登先生とイベントをやって、その後大田・雲南の小学校での演奏でした。どちらも絵に書いたような山々に囲まれた素晴らしい景色の中に在る学校で、子供たちの無垢な笑顔が本当に素晴らしかった。私ももっと余計なものを振り払って、素直に生きたいなと思わず思いました。良い体験でした。
毎年12月になると街にはクリスマスソングが流れるのですが、私は20代の最初の頃に銀座なんかのナイトクラブでバンドマンをやっていましたので、年末は毎日のようにジャズアレンジしたクリスマスソングを弾かされてました。バブル全盛の当時、焼酎の吉四六が10万円になるようなとんでもない馬鹿げた高い店に、にやけた顔で毎夜やってくるおじさん達を見ていて「こういうオヤジにはならんぞ」という想いを一番感じたのも年末のこの時期でした。
今年はお陰様で年末までは日々忙しくさせてもらっていまして、下記の「銀河鉄道の夜」の公演が25日クリスマスにあります。大体琵琶はイメージが鎮魂なので、世の中おめでたい時期にはお声がかからないものですが、今年は少し盛り上がりそうです。
そして私は相変わらず何だか訳の分からない夢を毎晩見ます。怖い夢や悲しい夢は見ないのですが、とにかく全く説明のつかないストーリーの夢ばかり見ます。登場人物は知り合いが多いのですが、何故その人が登場したのか判らない。突然遠い昔の知り合いが出てくることもよくあります。
考えてみれば、夜は目をつむっているのに、夢はリアルな映像のように見る事が出来る。やはり、普段の生活に於いて人間は五感に囚われ過ぎて、本来の感覚の奥底が解っていないのかもしれません。「観の目強く、見の目弱く」といった宮本武蔵は、何か気づいていたんでしょうね。
また夢の中の物語には時間の概念が無いようで、年齢というものがほとんど消えています。若くもなく年寄りでもなく、ただ自分がそこに居るのです。表層では思い出せない記憶や、前世(?)から受け継がれた記憶もあるかもしれません。そういうものが夢という一種の仮想空間では、何の制約もストレスも無いので自由に出てくるのでしょう。
想い出は想い出すのではなく「想い出る」のであって、ふと出てくるものです。夢の中では「想い出る」そのきっかけが、蓄積された記憶のどこかに引っかかり、引き出され、そこからストーリーが展開して行くのかもしれません。覚醒時には、知らない内に現実の社会のルールや常識に引きずられているので、実は感じる事が出来る範囲も狭くなっているのだと思います。それが睡眠中には解放されて、遠い記憶や、いつもは隠れている想いが自由に出てくるのでしょうね。
私が思う良い音楽は、時間や年代、時代というものを感じさせないものばかりです。逆に特定の時代のヒットソングのような音楽はあまり魅力を感じません。目の前の生活が見えるものや、喜怒哀楽をぶつけるような音楽はどうにも肌に合いません。良い声は好きなのですが、歌詞は勿論の事、歌い手の心が浅い表層の感情や自己顕示欲のようなものに囚われていると、聴いていられないですね。琵琶歌も全く同じです。
実は最近弾き語りの曲も作ってみようと思っています。勿論従来の琵琶歌とは全く違うものです。ちょっと前に知人から「ジミヘンの歌のような感じ」という言葉を聴いて、ちょっとピンと来るものがありました。ジミヘンはあの爆発するようなギターが何と言ってもその中心ですが、歌もその音楽にばっちりはまっていて、声もとっても良い感じ。こんなスタイルなら私にもぴったりだし、歌手の歌とは違う何かを引き出せるかもしれないと考えています。
また夢のお告げで何か出てくるかもしれませんね。
12月14日(水)第180回琵琶樂人倶楽部「年末恒例 お楽しみ企画」
開演 19時00分
料金 1000円
出演 塩高和之(琵琶) 尼理愛子(琵琶) スペシャルゲスト 安田登(能楽師)
演目 太平記(赤坂城の辺り)風の宴 祇園精舎 餅酒合戦 他
今回は込み合う事が予想されますので、完全予約制にさせていただきます。ご連絡くださいませ。
来年も夢の中を行き来するような素敵な舞台をやって行きたいですね。