私はあまりお酒を飲み歩くようなタイプではないので、時々ブログに書いているように、昼間動ける仲間達と喫茶店巡りをしたり、美味しいものを食べに行ったりするのが秘かな楽しみなんです。
先日、たまには美味しい洋食を食べようと思って、10年以上前から通っていたお店に行ったところ閉店してしまいました。パンタレイの世の中ですし、60代のご夫婦が二人で切り盛りしていたお店ですから、こんな日も来てもおかしくないだろうなと思いながらも、何とも受け入れがたい気分のまま仕方なくぶらついていたんですが、ふと今年開店した若手がやっている店の事を想い出して、そちらに行ってみました。 こちらの店は若手がやっていて、今年の春頃に初めて行った時、雰囲気といい味といい好印象だったので飛び込みで行ってみました。実に素晴らしい料理を堪能させてもらいました。料理はしっかりとした技術をベースになかなか手も込んでいて、アイデア豊富で色彩感も全体にありました。店全体に若々しい柔軟な感性が感じられ、接客もとても充実していて、じっくりと楽しめました。
何時もの店の閉店は残念でしたが、次世代の味を堪能出来たのは、何かのはからいだったのかもしれませんね。
閉店したお店もそうでしたが、こちらの店も全体に味付けといい店の雰囲気といい穏やかで気取らない感じながら、味はとてもレベルが高く深みや品格を感じさせてくれました。今の世の中はどんな分野でも自己顕示欲の塊のようなものが多く、伝統の世界も品格を感じられないものが溢れていて、がっかりする事も多いのですが、そんな世の中にあって、若手が創り出すその味はとても期待が持てました。是非これからもその志と心意気を持って頑張って欲しいものです。
音楽をやっていると、作品や演奏を聴いてもらうのが仕事ですので、主張はしっかりしなくてはいけないのですが、その主張の在り方が問題なのです。ショウビジネスと背中合わせの世界という事もあり、目の前で売れるという事に傾いて行くのも仕方がないかもしれませんが、自分は現代という時代に琵琶に縁を頂き、いったい何をしたいのか、何を受け継いでいるのかいつも考えざるを得ないですね。琵琶の音色の内にある長い歴史、文学や芸能、それ以前の大陸の文化も含め、果てしのない大きな世界があり、その琵琶を今自分が弾いているんだといつも感じます。
ジャズでは良く感じるのですが、この人の演奏には〇〇が宿っているなと思う事があります。よく共演するSOON・Kimさんの演奏には、その中に確かにオーネットが居るし、良いなと思うミュージシャンを聴いていると、品格を感じる事が多いです。それは表面的な形でも技でもなく、師弟という事でもなく、むしろ形はそれぞれ違うのですが、品格の中に先人の魂としか言いようのないものを感じるのです。邦楽では流派や弟子などの枠の中で考えがちですが、離れていても、会ったことが無くとも、その品格は音楽を通して伝わります。それだけ優れた音楽家の持っている品格は聴いているだけで感じられるものです。逆にいくら門下生であっても、表面の形しか伝わらない人も多いです。薩摩琵琶はまだ流派が出来て100年程しか時間が経っていませんが、永田錦心の品格(志といった方が良いでしょうか)を受け継いでいる人はどれだけいるのでしょうか。
音楽も料理も、いくら格好や体裁を付けて宣伝しても、一瞬で見抜かれてしまうものです。それだけ音楽も料理も、人間の感性に直結していて、受け手の記憶や受け継がれて来た感性が呼び起こされて、その一瞬に相対するのです。
何時ものんびりぶらぶらしながらも、こういう所に出逢うと、色々気づかされる事が多いですね。品格を受け継ぐ事は大事だなと改めて感じた一日でした。私ももう次の世代にだんだんバトンタッチして行く世代となりました。私も何かしら受け継いでいるものもあるかと思いますが、私の音楽に品格として感じられる程のものがあるかどうかは、自分では判りません。全てはリスナーが判断するものです。ただ私自身が次世代に何かしらを伝えて行くような姿でありたいなと思いました。








