仲間

先日久しぶりに40年来の仲間と話をしました。彼とは若き日に同じギターの先生に就いて研鑽を積んんだ仲で、お互いにライブハウスなどでライブをやっていました。彼はプログレ派で私はジャズ派。彼は年齢も一つ上でしたが、いつも私の一歩先を行く人でした。それから二人ともギターからは離れ、それぞれに思う道を選び、その道を貫いてきた同志でもあります。彼は数年前に伴侶を亡くし、私もあまり声をかけるのも悪いと思って連絡を控えていたのですが、最近彼の住んでいる所のすぐ近くで演奏会の話が持ち上がったので、たまにはゆっくり逢いたいと思って電話をしてみました。

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小網代湾


久しぶりに良い話が出来嬉しいひと時でした。昔話ではなく、お互いがそれぞれのやり方今でも生きているという事に、何とも言えない共感が感じられ、何か一緒に仕事をするという訳でもないのに、仲間であることの嬉しさが湧いて出てきました。お互い組織に寄りかからず、自分で新たなジャンルを切り開くようにやって来たので、普段から何かと共感するところが大きいのですが、久しぶりに話をして大いに感じるものがありました。私はともすると、一人でやるという感覚が強く、徒党を組むのを良しとしない方向に行きがちです。それは悪く言えば一人で出来る事しか実現できないとも言えるので、新たな仕事をする時には、このやり方で本当に良いか常に自分の行動や志向を客観的に捉えて見直すことにしています。

6琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
私は子供の頃から剣道をやっていたので、よく剣豪の本など読み漁っていて、特に宮本武蔵関連の本にはかぶれていました。子供の頃の文集には「○○みたいな剣豪になりたい」なんてことを書いていましたね。武蔵の言葉や絵などをブログに引用するのはその為です。とにかく只管己の道を切り開いて行く孤高の人が好きなんです。私は武蔵の「独行道」の様にはとても生きられませんが、自分が組織に入って、その中で何かをやるというのは子供の頃からイメージが湧きませんでしたね。やりたい事は実現すべく自分で工夫して、自分のやり方で、自分の足で歩んで行く。そういうものだと今でも思っています。

だから音楽家もマイルス・デイビスやアストル・ピアソラみたいな自分で新たなジャンルを創り出すようなタイプの人の音楽に惹かれいます。出来上がったジャンルの上で名人を目指すようなメンタルの人の音楽はスケールが小さく、優等生的でつまらない。特にジャズや邦楽は、その場での臨機応変な対応を求められる音楽だけに、練習したことをお上手にやろうとすると一瞬でばれてしまいます。
邦楽でも永田錦心や鶴田錦史の話をよくするのは、その独自の道を行く姿勢が好きなのです。海童道祖や高橋竹山のような邦楽家は今はほとんど居ませんね。残念です。

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キッドアイラックアートホールにて Asax:SOON・Kim Dance:牧瀬茜 映像:ヒグマ春夫各氏と

こんな私ですが、コロナ以降、色々と活動のやり方を変えざるを得ない事もありますし、自分一人でただ突っ張っていてもどうにも事は動かないという事はここ最近特に感じていて、今は頭も行動も切り替えが出来るかどうかの瀬戸際に来ている所だと思っています。そのせいもあって最近は特に自分の周りの仲間の存在をとても大きなものとして感じています。「媚びない・群れない・寄りかからない」がモットーの私ですが、良き仲間との連携は良好に保って行きたいものです。

良く振り返ってみると。私がお世話になった方々も皆独自の道を切り開くように歩んでいる方ばかりです。しかし皆さん創造性の豊かな自立した芸術家としては勿論ですが、その周りには素晴らしい仲間も居ました。そして仲間の方々も素晴らしい魅力のある方ばかりでした。私もそういう仲間に恵まれるような存在になりたいですね。

2010-6

2010年寶先生追悼の会 大分能楽堂にて 福原道子 福原百桂各氏と

お世話になった方々の中でも作曲家の石井紘美先生は特別な存在です。一応琵琶は錦心流と鶴田流の先生に就きましたが、琵琶における先輩という存在には残念ながら恵まれませんでした。だからずっと一人で曲を書き、演奏会を仕立て、全国を(時に海外も)回ってやってきました。
元々私に琵琶を勧めたのは石井先生です。また何でも一人でやるという私の気質を決定的に強く押し上げたのも石井先生です。先生は現代音楽の最先端を行く電子音楽の分野で活躍している方で、今やもうその分野の大御所としてヨーロッパにて活躍していますが、石井先生の言葉は今でも色々と想い出します。中でも「実現可能な曲を創りなさい」という言葉は今でも常に胸の中に在ります。
これだけだとちょっと言葉足らずで判りにくいですが、これはこじんまりとして、無理なく演奏できる曲を創りなさいという事ではないのです。「こじんまり収まってしまうようなら、お前の器はそれまで。どんな手の届かないと思える仕事でも必ず自分の手で実現できる所まで実行せよ。それだけの器と実力を持て」という事。つまりどんな仕事でも自分で片を付けろという意味だと捉えています。
先生は私が琵琶に転向してからも、琵琶とコンピューターの作品を書いて、私をロンドンに呼び寄せて、初演をロンドンシティー大学で企画してくれたり、ドイツの現代音楽レーベルWERGOで世界発売された先生の作品集に、その時のライブ音源を入れてくれたりして、その時点で私ではとうてい実現出来ないような場と作品と機会を私に提供し、そこに導いて、私を一段も二段も上に引っ張り上げてくれました。

イルホムまろばし8m
アルチョム・キム指揮オムニバスアンサンブルと拙作「まろばし」リハーサル中

イルホムまろばし5s

本番


こうして振り返ってみると、素晴らしい師や仲間に恵まれているんだな、としみじみ感じます。上記の古い友人と語り合っていたら、こんな事が急に溢れるように浮かんで来ました。
良き仲間に囲まれるくらいの大きな器と人でありたいものです。

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