今を生きる

お知らせ2 

2月4日に予定していました日本橋楽琵会ですが、延期となりました。再開の際は改めてご報告いたします。

また感染が広がり、「まん防」の発令で世の中混乱していますね。23日の7artscafeライブに続き、2月4日の日本橋楽琵会も延期となってしまいました。本当に残念ですが、今は創作に当てる時間と思って作品創りに専念します。こんな中ではありますが、今週はギャラクシティードームにてこんな会があります。 ライブとは違うのですが、ちょっと面白そうなんです。以前やった「銀河鉄道の夜」のチームでの上演です。今のところ観客を入れる予定ですが、もしかすると無観客配信になるかもしれません。

ギャラクシティー 2022-1

内容は「黒塚」よりも「安達ケ原」と言った方が解り易いでしょうか。人食い鬼婆の話ですが、これは単にホラーという事ではなく、当時女性一人で生きるという事がどんなに過酷であったかという事も連想させ、鬼婆となって生きるしかなかった悲しい一人の女の話でもあるのです。
こういった古典に接すると、現代に通ずるものを感じますね。先日の東大前での殺傷事件など、あそこまで追い詰められた少年の心はどうだったのか。安達ケ原の鬼婆もあの少年も、二人をあのようにしてしまったのは周りの人間たちであり、社会でだったのではないでしょうか。多様性などといいながら、一つのレイヤーに追い込んで破滅する所まで攻め立てるのが今の世の中かもしれません。

私のようなものでも日々、あれやこれや色々と思うところがあり、誰しもストレスも不安も無く生きる事は出来ませんが、身の回りの事を一つづつ解決しながら、何とか自分の人生を生きる事が出来ています。しかし今、抜け出す扉も道も見えず苦しんでいる人はとても多いのではないでしょうか。

セミナー3sアゼルバイジャン バクー国立音楽院セミナーにて
自由に自分で選択して生きる事は、人間本来の姿であるはずなのに、あらゆるものにからめ取られて、それがままならなくなる。いつの世も人間の社会というのは変わりません。特に現代社会では、一見何でも出来て、何でも手に入り、何でも自由に行動できる、言えるような風に見えますが、実はメディアに誘導され、組織に・社会にがんじがらめになっているのかもしれません。
私は音楽活動に於いて、とにかく自由にやりたかった。だから組織から抜けて何でも自分の思い通りにやって来ました。勿論やるからにはすべての責任は自分で背負はなくてはいけませんが、自分の物差しと軸でずっとやって来て本当に良かったと今思っています。今迄色々なお仕事をさせて頂きましたが、自分で選択出来ない仕事や私を振り回すような仕事は、最初はお付き合いしても、ある程度やったら丁重にお断りして、その都度起動修正をしながらやって来ました。

人は形を求めたがります。所属する組織や階級等々、自分が寄って立つところがあると安心しますから、不安な時代程求めたがりますし、心の弱い人ほど沢山の鎧を着たがるのは今も昔も変わりません。私も若い頃にそういった寄りかかるものをもし持っていたら、きっと心ももっと振り回されていたでしょうね。これらの鎧が自分を束縛し、多様な感性を曇らせ、視点をふさぎ、小さな所に誘導する元凶なのです。魯山人の「芸術家は位階勲とは無縁であるべきだ」という有名な言葉がありますが、私はいつも自分らしく自由に生きる為にも、余計な鎧は纏わないようにしています。最近では「先生」などと呼ばれるような年になってしまいましたが、気を付けたいですね。

八犬伝今は何をやっても上手く行かないと思っている人も多いでしょう。でもネガティブな感情は、けっして事態を好転させません。こういう時こそ色々楽しみを見つけると良いかもしれません。先日国立の初春歌舞伎を見て来ましたが、楽しませてもらいました。かのジョー・パスは調子の悪い時の対処法を聞かれて「のんびりスケール練習でもしている事だよ」と答えていましたが、そんな気軽さは今こそ必要だと思います。大上段に構え頑張る事も必要ですが、いつもそれでは疲れ切ってしまいますし、見えるものも見えなくなってしまいます。逆にのんびり構えていると、ふとした所から面白い光が差してくるものです。私はこれ迄の人生で、何度となくそんな光に導かれてきました。

色々とままならないこういう時には、なるべく一番近い身の回りを整えるようにしています。私の場合は先ずは琵琶の手入れをして、常時使う六面の琵琶をご機嫌な状態にしておく事。これは精神的にとてもよろしいですね。六面の琵琶の絃の状態が良好で、軽く触れるだけでサワリが響いてくる程にぴたりと調整が決まると本当に気持ち良いのです。私は部屋の片づけをするとスッキリしますが、仕事を仕上げなければならない追い込みの時には、逆に譜面や資料などを周りに於いて、ちょっとごちゃついた感じにして身の回りをざわつかせて、仕事に強制的に自分を追い込んで行ったりもします。それが片付くと仕事も一段落着き、部屋もすっきりするという具合です。
人それぞれ気持ちの良いポイントがあると思いますが、自分にとって気持ち良い状態に近づくと、心もほぐれますね。結局ネガティブな状態とは、心の膠着ではないでしょうか。

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photo 新藤義久

何にも囚われないプレーンな状態に居るというのは、なかなか大変ですが、時代の荒波を乗り越えるにはパワーで対抗していては無理ですね。強いものは、どうしてもその強さを自負し、そのパワーを使いたがる。言い方を変えると寄りかかってしまう。しかしパワーに対してパワーを向けると、命はいくらあっても足りません。人間は勿論の事、強大なもの、例えばウイルスや組織や社会の圧力など、そういうものには「柳に風」で相対する位でちょうど良い。するりとすり抜けて自分の道を歩き出す。これが一番です。
どんな状況でなっても、この世に生を受けた以上、今を生きなくてはいけません。今この時を生きるのなら、せっかくですから自分の道を淡々と歩きたいですね。それにはやはりいつもの「媚びない、群れない、寄りかからない」姿勢でないとふらついてしまいます。

私は私のペースで、どこまでも生きて行きたいのです。

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