五月の風 2018

新緑の季節はさわやかで良いですね。気候もちょうど良い感じで、一年で一番体調が良いのもこのGW辺りでしょうか。今週はリハーサルばかりで演奏会も無いので、楽器屋さんを回ったりして楽しんでいます。
5月は両親の命日でもあるので、先日は墓参りに行ってきました。あまりゆっくりすることは出来ませんでしたが、静岡の海を見ると「帰ってきたぞ」という気持ちが自然と湧きあがりますね。もう静岡には実家も無いですが、自分が生まれ育った所に時々帰るというのは気持ちの良いものです。

マッチs
ナジャが開店当時配っていたマッチ

先月、私がオープニングの時から通っていた高円寺の老舗のジャズ喫茶Nadjaが閉店しました。私は東京に来た最初から高円寺に住んでいたので、一時期は毎日のように通って珈琲を飲んでいました。もう30年に渡って通っていたのですが、ここ2年程はリハーサルや演奏会に忙しく、なかなかゆっくりと珈琲を飲んでオーナーとおしゃべりを楽しむような余裕を日々の中に持つことが出来ず、年に数度しか行けませんでした。昨日、お店の常連だった方からメールが来て知りました。あまりの衝撃に佇んでしまいました。そして今日、お店の前まで行ってきました。もうそこには何も無く、閉店の挨拶だけが、ぽつんと貼ってありました。

17Nadjaがオープンした頃、私はナイトクラブでスタンダードジャズを弾く駆け出しのバンドマンでした。世がバブルの直前でしたので収入は結構ありましたが、技術の切り売りのようにギターを弾いている自分に疑問が出てきて、日々もがいていましたね。自分の行くべき道が見えないまま、毎日「何かが足りない」「自分の音楽は何だ」という焦りにも近い想いだけが自分の中にどんどんと満ちて行くような頃でした。

4
Nadjaのカウンター

毎日のように夕方になるとギターを抱えつつNadjaに行って珈琲を飲んで、それからナイトクラブへと向かう日々を繰り返すうちに、Nadjaに置いてある画集や写真集を観たり、オーナーとも色々と話をするようになって、ジャズにしか興味がなかった私の目は自然と芸術全般へと開いて行きました。本当に多くの人とここで出会い、時にウイスキーやジンを飲み語り合いました。私がギターオタクにならなかったのはNadjaのお陰です。美術・文学・映画・写真・様々なジャンルの音楽・・・etc.色んなものが世に溢れていることを、この場所で知ったからこそ、今こうして琵琶弾きになったと思っています。
経験豊富なオーナーからは、芸術はもとより色んな話を聴かせてもらいました。今思うと、そんな会話に結構大きな影響を受けたように思います。多分今の「私」という人間が出来上がるには、生まれ故郷も勿論ですが、その次はこのNadjaの存在が大きく関わっていることは間違いないですね。
実はオーナーさんは、琵琶に縁のある方でしたので、私がジャズギターを止めて琵琶弾きに転向した時も、Nadjaの存在が大きく関わっていたのです。

今こうして改めて考えても、Nadjaが無かったら今の私は違う人間になっただろうと思えて仕方がありません。

ジャケット表

今年8thCDを出してから、何か自分を取り巻くものが大きく変化して行くのを感じていましたが、Nadjaが無くなるとは思ってもみませんでした。あまりお店に顔出すことも出来ませんでしたし、考えてみればオーナーもそれなりの年齢となり、一つの区切りを付けられたのでしょう。きっとオーナーの心には、私などには到底計り知れない様々な想いが溢れているのでしょうね。私には何も出来ませんが、せめてオーナーのこれからの人生にエールを送りたいです。
Nadjaの閉店は、私の中で時代が次の段階へとシフトして行くような、大きな象徴となりました。

今年に入って、長い付き合いのあった人が遠くに行ってしまったり、何十年も前の古い知り合いとの付き合いがいくつも復活したりと、友人知人関係が大きく変化していて、ちょっと自分でもびっくりする位の出来事が続いています。私自身がそういう時期に来ているのでしょう。琵琶に対する考え方、接し方、やり方も変化して来ました。特に声に関する部分では、もうはっきりと8thCDを出す前と今では違います。多分ここ数年で、私のスタイルが本当の意味で出来上がる、そんな気がしています。

2015江の島2
夕暮れの江ノ島

人生は刻一刻と移り行き、時代もまた人間には予想もつかないスピードで変化して行きます。しかし時というものはただ過ぎ行くだけではないと私は思っています。

先日、墓参りのついでに、ちょっと三島に寄って雄大な富士山を間近で見ることが出来ましたが、駿河の海と富士山が私の人生にどっかりと大きな普遍の存在としてあるように、Nadjaの想い出も自分の人生の大切で、かけがのいない一つの時代として刻まれてゆくのでしょう。

y30-1
若き日

何時も書いているヘラクレイトスの「万物流転 panta rhei」の定めの如く、形あるものはいつかは消え去って行きます。しかしただ消えるのではなく、想い出や記憶や体験は、自分の中に積み重なり、それがまた自分の人生となって行くように思えます。想い出に浸り、過去にすがることはないですが、この30年、Nadjaからはあまりに多くのものと、大切な時間を頂きました。

今夜は独りでゆっくりと珈琲を頂こうと思います。ありがとうございました。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.