ちょっとだけお知らせを
私のHPでは私の名前の漢字を「塩高」で表記しています。本来は「塩髙」という旧漢字なのですが、PCでの作業の事を考えて「高」で統一していますので御了承ください。
A quick announcement
On my website, my name is written as “塩高.” Originally, it is written as ‘塩髙’ using old-style kanji, but for the sake of convenience when working on a PC, I have standardized it to “高.” Thank you for your understanding.
私はSNSもやっていないし、知人が教えてくれる記事を観たりする程度なのですが、今の世の中、心がかき乱されるようなものばかりで、ゆったりと音楽に浸ることが出来ません。何故人間はこれだけ文明が発達しても、争い・反目し合うのでしょうか。この状態を人類は乗り越える事が出来るでしょうか。
身近な所を見ていても、乗り越えることが出来ず、溝が深まって行く例を多々見かけます。よく自分の興味のある情報だけに囲まれた「フィルターバブル」という事が言われますが、その申し子は、実は60代70代の高齢者ではないでしょうか。先日の選挙の時など、同世代と話をしていて、これは厳しいと感じる事が多かったですね。
ジョージアの首都トビリシのRustaveri National Theatre 演奏会にて
日本人は個人で動く事より先にグループや組織を作りたがり、その中にいると安心する性質が強いので、会社を辞めても直ぐに同好の士を見つけ仲間を作りたがります。バンド活動もカメラ片手にアイドルの追っかけ(還暦過ぎのおじいちゃんに結構多いのですよ)も自由にやれば良いですが、先ず最初に自分で考え、感じ、自ら行動して行く人が本当に少ない。直ぐに群れたがるのは何故なんでしょう。一人で行動して行くには、精神や哲学面だけでなく、お金の事も全部自分で解決しなくてはいけないので、その全責任を負って生きて行くのは楽ではないでしょうが、そういう気持ちを持っていないと結局目の前の快楽に沈殿しているだけで、仲良しクラブの友達とのお遊び以上のものにはなりません。
コロナ前の5年間程は色んな仕事をさせてもらって、実に沢山の機会を得て全国を飛び回っていましたが、結構数が多かったのが文藝サークルのようなグループに呼ばれて演奏する仕事でした。どれも芸術に関心の高い方々の集まりでしたので、文学や音楽、歴史の知識が皆さん豊富で、毎回大変勉強になったものの、ずっと気にかかっていたのが、若者が誰も寄って来ないという現実でした。皆さん高齢者でしたし、若者には敷居が高かったのでしょうね。そこがとっても残念でした。
私の世代は10代の若者からすると、もう完全な高齢者であり、同世代や先輩方々が集まって群れている状態は、若者から見れば老人クラブみたいにみえるのでしょう。私が20歳前後の頃は先輩といえば30代40代で、60代以上はもうほとんど関りの無い老人達でした。琵琶を始めた時、初めて行った演奏会がK流の定例会だったのですが、自分の親というより、おじいちゃん、おばあちゃんの世代が何十人も集まっていてびっくりしました。そういう所に行ったこともなかったので、当時の私にとっては全くの異世界だったのを強烈に思い出します。
今自分がそういう仲間入りをするような年齢になって考えてみると、自分の仲間内で群れているようでは、若者が来ないのは当たり前だなと思うのです。同年代の同好の士で集まって、イェーイなんて盛り上がっているのは、老人の自己満足でしかなく、若者が入り込む余地は無いのです。
そんな想いもあって、若手の有能な人にはなるべく声を掛けるようにしています。正直な所、若手の演奏家は技術はよくとも、音楽性に関してはベテランには及ばない部分も確かにあります。当然若手とでは実現できない仕事も演目もあるのですが、出来るだけ若手と組めるような機会も作って行く事で、次世代のセンスを私自身が学んで行きたいと思っています。是非次世代の人にこそ聴いて感じて欲しいのです。私の周りには80代90代にしてアクティブな芸術家がが何人も居ます。このブログでも何度か紹介しているので、ご存じの方も多いでしょう。そういう方々は皆若手と常に仕事をし、高感度でアンテナが張っていて、全く無理なく普段の極々普通の姿勢がとても自由で幅が広いのです。だから多くのものを吸収し、更に色んな発想が出て、世代を超えて人が集まるのでしょう。あの姿は大いに参考になりますね。
これがこれからの私の課題ですね。