先日は袋井市のメロープラザにて公演をしてきました。響きの良いこじんまりとしたホールで、とても良い所でした。スタッフも皆さん細やかに気遣いをしてくれて、良い演奏が出来ました。またいつか伺いたいと思っています。
こんな風に琵琶を弾いて回っている人生ですが、私は若き日にはジャズギタリストに成ろうと思って上京し、その後、紆余曲折の果てに琵琶を手にしたので、自分の音楽体験のルーツは邦楽ではなくジャズです。作曲の手法や考え方にも色濃くジャズスタイルの影響があり、音大でクラシックの作曲を勉強してきた人とは随分違う発想と手法を持っています。10代20代の頃はポップスなどのショウビジネス系の音楽を排除する姿勢が硬派だとばかりに格好を付けて、コルトレーンやマイルスを至上として崇めてジャズをやっている自分は凄いんだと思い込んでいましたね。まあそういう時代があっての今だと思うと、それも通るべき時代だったのだなと今は思っています。
何故ジャズを止めたのかと言えば、その音楽体験のルーツのもっと奥、自分の人間としてのルーツ、つまり日本的な感覚とジャズとの距離感を感じたからです。私は勉強した訳ではないのですが、親の影響もあって、子供の頃から古典文学や和歌が身近にありました。これは琵琶をやっていく上で、大変ありがたい環境だったと思っています。
東京に出て来て、沢田俊吾先生、潮先郁男先生という素晴らしい先生に恵まれ、まあちょっとはギターで仕事が出来る位にはなったのですが、自分のやりたい音楽の姿は一向に見えませんでした。バブル時代でしたので収入的には困らなかったのですが、仕事である程度のものはこなせても、「これじゃないんだよな」という想いがずっと付きまとっていました。そこで20代の半ばからは、アコースティックの10絃ギターでオリジナル曲を創ってみたり、フラメンコをやってみたりしていたのですが、どれも表面の技術だけが上手になって行くばかりで、一向に自分のやる「音楽」は見つけられませんでした。特にフラメンコをやったことで、民族性、風土性の強いものを、生活も風土も歴史も違うよそ者が上っ面を物真似する事に強い違和感を覚えていました。そんな頃、作曲家の石井紘美先生と出逢い、先生から「あなたは琵琶よ」と言われ、そうかな??と思いながらも始めてみたら、それがそのまま人生になって行ったという訳です。
琵琶に転向してからは今まで聴いてきたジャズやロック、プログレ、現代音楽なんかのエッセンスがそのまま琵琶を通して姿となって立ち現れ、正に「水を得た魚」状態で曲がどんどんと溢れ出て来ました。1stアルバム「Orientaleyes」ではその時の自分が爆発してますね。今聴くと結構めちゃくちゃなんですが、それでもあの時の自分のエネルギーは今でも好きですし、その勢いは止まることなくどんどんと続いて行きました。時代が良かったのか、すぐ琵琶でもお仕事をさせてもらうようになって毎月あちこち飛び回っていました。五線譜は普通に読めたし、演目に合わせアレンジも作曲もやるので重宝がられたこともあって、とにかく請われるままに長唄や日舞、能、手妻など、色んな邦楽のジャンルの舞台で声をかけてもらってやらせてもらいました。今思えが半人前の私をよくぞ使ってくれたと、本当に感謝しかありません。あの頃の経験が今確実に生きています。
コロナ禍の数年の間は、マイルスの「Bitches Brew」や「Agharta」「Pangaea」等1970年前後の傑作アルバムを聴いていました。当時の時代の流れと共にマイルスの音楽的な変遷に想いを馳せると、改めて何か腑に落ちるものを感じました。今になって初めて聴こえてきたものが沢山ありますね。マイルスを生で聴きに行ったのは、1980年の新宿の野外特設ステージでのライブ(「We Want Miles」としてリリースされています)です。あの感激は未だに生々しく覚えていて、今でもすぐに蘇って来ます。あのライブの後、まだ10代だった私の頭の中は長い間あの時の音楽とマイク・スターンのギターで24時間埋め尽くされていましたね。凄い衝撃でした。マルス・デイビスの音楽の創り方には随分影響を受けていると感じます。
琵琶関係者でジャズの話が出来る人はほとんど居なかったのですが、唯一、田中之雄先生だけが解ってくれて、マイルスの素晴らしさについてよく話をしてくれました。門下の飲み会で、私と先生がジャズの話で盛り上がってしまうと話が止まらず、周りの後輩たちが帰るに帰れなくなってしまい、後輩の一人が「そろそろ止めてください」と耳打ちしてきた事もありました。ジャズに興味のない若者には困った先輩だったのでしょうね。田中先生は若い頃、ジャズギタリストに成ろうと思っていたという方なので、実に話が合い、琵琶の稽古の後に先生のギター(ヴィンテージのジョニースミスモデル)を弾かせてもらったりしてました。ああいう自由な姿勢の先生が居たからこそ、琵琶を生業として続けられたんでしょうね。私は天邪鬼故、流派門下からは抜けてしまいましたが、今でも、思うように琵琶に関わらせてくれた田中先生には感謝しています。
琵琶で活動をはじめて早30年。アルバムを出しはじめて25年も経ってしまいましたが、ジャズを音楽として捉え、その良さを本当に実感したのは琵琶に転向して、客観的に距離感を持ってジャズを聴くようになってからかもしれません。私はジャズを通り越したからこそ、今があると思っています。私の琵琶のスタイルは日本文化の土台にジャズが加わり、その両方から学んだハイブリッドと言っても過言であありません。別に売れた訳でも何でもありませんが、今は自分の世界が明確になった事で、無理なく良い形で音楽に接することが出来ています。 そしてこれまでの紆余曲折の変遷が今生で私に与えられた運命であり、また使命だとも感じています。これからもまだまだ続きますよ。楽しみで仕方ないですね。







