静かな暮らしⅡ

この土日は、池袋の「あうるすぽっと」にて舞台収録をします。

2020あうるすぽっと

安田登先生、玉川奈々福さんに加え、昨年に引き続き、木ノ下歌舞伎の木下裕一さんが司会をやってくれます。今年はトークのコーナーで、いとうせいこうさんも加わり賑々しくやれそうです。演目は夏目漱石の「吾輩は猫である 鼠の段」「夢十夜より第一夜」、そして小泉八雲の「破られた約束」です。今回も安田先生は、「吾輩は猫である 鼠の段」で手話をやりながら演じられます。乞うご期待!。
今年は、こういう時期でもありますので、無観客での収録配信となりました。残念ではありますが、こんな時期に、こうして機会を頂けるだけでもありがたいですね。先日リハーサルをやったのですが、なんか舞台人やスタッフが集まり、あれこれと創って行くのは実に楽しいのです。やっぱり私の生きる場所はここしかないですね!!。

プルワリ2020ー8-1次の土曜日、8月1日には、このところの定例となっている、狛江プルワリにて、フルートの神谷和泉さんとのデュオライブもあります。
私は気が多いのか、作曲ばかりでも物足りないし、ライブだけでも物足りない。曲を創っている時は情景が浮かんで、色んなアイデアが湧いてきて、とにかく楽しく、また音楽として響いて舞台に流れると、本当に幸せな気分なんです。そしてライブも自分の独演だけでなく、色んなゲストを呼んで、ゲストに合わせて新たに編曲したり、新作をやったり、常に様々な企画をして、頭ひねって、あちこち飛び回っているのが私の活動スタイルなのです。加えてレクチャーなんかもなかなかこれも面白い。まあ「わらじ」がいくつもあるという事です。
しかし、今後こういう活動がどこまでできるのでしょうね。地方公演もどんどんと潰れて行ってます。頭ではあれこれと、食い扶持探しをしているのですが、とにかく不器用なたちですので、おいそれとスタイルを変えられない。本当にどうなる事やら。

秋の公演も、中止が相次いでいます。先ずは横浜能楽堂での津村先生との会、静岡の清水区にある鉄舟寺での笛の大浦典子さんとの公演、少し先では年明けすぐの札幌公演等、楽しみにしていた演奏会が次々に中止になってしまいました。特に鉄舟寺は山岡鉄舟ゆかりのお寺で、私の代表作「まろばし」のきっかけともなった場所ですので、本当に残念でなりません。あそこで「まろばし」を演奏したかったな~~。
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奈良 柳生街道

このコロナ自粛の間は、色んな方とメールをやり取りをして、色んな話を聴かせてもらいました。良い勉強にもなったし、多くの発想の転換を頂きました。こういう時間も無駄ではなかったですね。そんな中で時々話題が出て来たのが、「脱東京」です。「都会を離れ、緑豊かな地に行きたいね~~」などと皆で日々言い合っています。先日安田先生とも、そんな話をしていたのですが、先生も仲間も皆そう思いながら、舞台を駆け回る人生を送って来た人間は、そう簡単には都会から離れられないのです。

東京に来たばかりの頃は、新宿の雑踏や、六本木、青山の雰囲気は何とも都会っぽくて、その辺りを闊歩している自分が好きだったのですが、年を追うごとに海や山や川のある緑豊かな地への憧憬が強くなり、都会を離れ、自然の中に身を置きたいと思うようになりました。友人からは「すぐに飽きて都会に戻ってくるよ」などと言われながらも、近頃はこんな話をする機会が増えましたね。
私は元々若い頃から、俗世を離れて山の中で自給自足の生活をするような暮らしに大いなる憧れがありまして、都会の壁一枚隔てて他人が暮らす、アパートやマンションの環境は基本的に、かなりのストレスなのです。都会の街はワクワクして、アクティブな感じがして好きなんですが、都会の暮らしはどうにも昔から好きになれません。まあ様々なストレスは自分の内面を炙り出すとも言われていますし、そういう意味では芸術活動には都会の方が合っているのでしょう。しかしやっぱり広いスペースと、豊かな自然に囲まれ、干渉されない静寂な暮らしがしたいですね。都会では無理な話なのは重々分かっているのですが、そろそろそんな都会の暮らしに耐えられなくなってきているのかもしれません。
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日本橋富沢町楽琵会にて こんなサロンコンサートもいつ開けるのやら photo 新藤義久

私は車の運転も出来ないし、PCにも強くないし、年齢を考えても、都会を離れてしまうと、もう仙人の様になってしまいそうな気がします。引っ込んでしまうと毎月の琵琶樂人倶楽部や日本橋富沢町楽琵会(現在は中止状態)もままならないだろうし、今後は地方公演もどうなるか判らないので、そう考えると、やっぱり仙人しかないですね。しかし芸術も音楽も、この世の中で多くのものを観て聴いてこそ、そこにドラマが生まれるのでしょう。そう思うと、芸術家はやはり都会は離れられないのでしょうか・・・。

以前、茶道をやっている方と話したら、「あの茶室というものは、都会の中にあるからこそ意味があるんだ。都会にあることで、あそこが特別な空間になる」と言っていました。確かにそうですね。森の中に茶室があっても、あまり感激はないかもしれません。つまり私は、あくまで都会に居ながら、自分の住まいだけは、俗世間を離れて特別な静寂の空間に身を置いていたいのでしょう。都合の良い考えではありますが、今の本音ですね。コロナ自粛で、都会の狭い部屋の中に籠っていると、かえって都会の騒音が耳につきます。緊急車両の音、隣の物音、商店街のざわめき・・・。とにかく都会はうるさいのです。そしていつもよりうるさい場所に自分が居ることを意識してしまいます。この所、どんどんと自然の中の静寂に想いが行ってしまいますな~~~。

狭山オーロラ

正直な所、今のマスクの義務化や、強迫観念の様に消毒を強制する、集団ヒステリー状態の世の中は、私にはつらいものがあります。だから「脱東京」なんて想いの日々をこのところ妄想しているのですが、そんな中、先日ふと思い立って、狭山市市立博物館で開催している、田中雅美写真展「オーロラの旅へ」を観に行ってきました。人工物の中であたふたしている自分が情けなく思いましたね。実に雄大で、且つ神秘的で、人間の存在を改めて感じさせてくれました。私は南国よりも寒い国に惹かれる方でして、カナダ北部やシベリア、北欧、アイスランド、トゥバ、モンゴル、キルギス、チベット等々、そんな所に興味が強いのですが、写真を見ながら引き込まれるような感覚がありました。こんな写真を見ていると、人生を変えたくなるような気分になりますね。自然はやっぱり素晴らしい。「物で栄えて心で滅んでいる」現代人は、どこかで自然にかえるべきだと、心から思います。

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昨年の「あうるすぽっと~能でよむ」公演より。木ノ下裕一、安田登、玉川奈々福の各氏と 
photo 山本未紗子(BrightEN)
こういう「脱東京」は、都会から離れられないという事が判っていながらの妄想でしかないのですが、このコロナウイルスは確実に世界を変えて行くと思いますし、同時に私の生活も大きく変わって行くように思っています。私の仕事や生活は急激には変えられませんが、徐々に自分の求める形になって行く、その時間が加速すると思います。都会の刺激の中で生み出される音楽は随分とやってきましたが、静かな暮らしの中で育まれる音楽はどんなものが出てくるのでしょう。それも楽しみなのです。

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