秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
(古今集) 藤原敏行
秋の風になりましたね。暑さの苦手な私には嬉しい限りです。この秋はやっとレクチャーなどではなく演奏会の機会が増えて来て、色々と機会を頂いています。やはり私は舞台で演奏するのが一番良いですね。琵琶樂人倶楽部では色んな話はしますが、学者でもないので、あくまでも琵琶樂への誘いとしての部分でやっています。
活動は様々な形があって良いと思いますが、だからと言ってあちこちどこにでも逃げ場を作っていたら物事は深まりません。このコロナ禍にあってレクチャーでの収入が随分と助けてくれたのは事実ですが、音楽家は作曲し演奏するのが本分。行くべき道に進んで行きたいと思います。
先ずは毎年参加している「9.11メモリアル」があります。今年は久しぶりにフルートの久保順さんと「二つの月」を演奏します。9.11を題材とした作品でもありますし、今この現代にこそ演奏するべき作品だと自負しています。彼女は9月22日に日本帰国10周年という事でリサイタルを開くようです。今後の活動を頑張ってほしいですね。彼女とは秋にも共演を予定しています。
最近はコロナで低迷していた仲間達もやっと活動し出しているようで嬉しいです。多分今動き出している方々は、色々と考え次代を見据え頭を切り替えているからこその活動再開なのでしょう。「昔みたいに、元のように」なんて頭で、今迄と同じ発想をして、同じ事をやろうとしている人は、もう動きが取れなくなっているのではないでしょうか。このコロナ禍は、ある意味淘汰を促したともいえるかもしれません。とにもかくにも志のある人が動き出すことが嬉しい限りです。
そして次にはこれまでも何度か紹介した東日本大震災復興支援のコンサート「響きあう絵 みつめあう音」の演奏会があります。山内若菜さんの作品と共に演奏するのですが、震災詩人の小島力さんの詩を基に私が作曲した「Voices~能管・琵琶・声の為の」の初演をします。また新たな編曲版「祷~和楽器によるAve Maria」の初演も合わせてやります。この二曲の譜面書きがこの所続いていましたが、やっと譜面上は一段落ついて、これからリハーサルに集中します。
また少し後には、11月に静岡で予定しているお寺での演奏会が二つあり、そこでも新作を上演する事が決まっています。篠笛と琵琶の二重奏なのですが、色々とアイデアも盛り込んでいるので、すんなりとは出来上がりませんね。ただ今奮闘中。今迄の焼き直しでない新作をものにしたいと思っています。
また9月の琵琶樂人倶楽部では新ヴァージョンの「経正」のお披露目もありますし、もう一曲独奏曲もまだ舞台にかけていなかったので、演奏しようと思っています。という訳で先月から頭の中に色んな音楽が鳴りっぱなしなのです。
私は常に自分の作曲したものを演奏して舞台に立っているので、創るのは大変ですが気分は充実しています。演奏を専門としている方とはまた違った充実感だと思います。私が共演している方は皆さんハイレベルの演奏家の方々ですが、音楽に対するアプローチがまた私と違って、私には到底できないことが出来る方々なので、大変刺激を頂いています。何事もそうですが、一方向しか視点がないと見えるものも見えて来ません。私が共演する演奏家は音楽や譜面の中に命を吹き込むことが出来る方々ばかり。鋭い視点と音楽への愛情に溢れ、私の書いた譜面から、私が想像もしなかった世界を紡ぎ出してくれるのです。皆さん本当に凄い!!。だから私の譜面は自由に解釈できるように余白を作っている曲が多いです。アドリブ部分のある曲があるのもそのためです。書き込めば書き込むほど、作曲者も演奏者も「こうでなければ」「こうあるべき」という硬直した狭い近視眼的な視点に固執しがちです。それでは創造の精神は動き出してくれません。私は共演者の感性をどこまで引き出せ得るか、というのも大きな課題だと思っています。本当に素晴らしい仲間に恵まれて嬉しい限りですね。
秋は多くのイメージを与えてくれます。秋を題材とした曲が多くなるのもそのためですね。特に秋の風にはとても深い風情を感じずにはいられません。目に見える世界ではなく、聴覚や触覚、臭覚などに訴えるものにこそ創造力が宿るのです。冒頭に古今集の中の藤原義之の和歌を載せましたが、万葉集から古今集への変化は、正に視覚からの解放であり、聴覚や触覚・臭覚が開き、そこから導かれる豊かな感性を形に表したことではないでしょうか。現代は、古今集から受け継がれた豊穣な感性が薄くなっているように思えてならないのです。表層の喜怒哀楽や、目に見える事物も、その背後には大いなるものがあると感じるのが日本の感性だと私は思います。それだけ日本は長い歴史と文化を、この風土で育んできたのです。今一度、足元にある深い感性と文化に目を向けて頂きたいものです。特に琵琶樂は千数百年前からそうした感性と共に在った訳で、喜怒哀楽に振り回され、戦記物で顔を真っ赤にして興奮している冒険活劇のような音楽ではなかったはずだと私は考えています。
秋風に誘われて、新作も次々に出来上がってきました。この秋が楽しみです。