やっと朝晩少し涼しくなって体が楽になりました。私は本当に夏に弱いので、今年は難儀でしたね。
今年も良い仕事をさせてもらっていますが、小さなレクチャーやライブなどは少な目なので、その分作曲都これ迄の作品の見直しをしています。独奏曲は良い感じのものが出来舞ましたが、デュオの作品はまだこれからという感じです。またいつもより時間があるのでレッスンも良くやるようになりました。ただ私は看板を上げている訳でもなく流派も名乗っていませんので、私の演奏が気に入ってどうしても教えて欲しいという人だけが集まって来ます。中にはもう舞台で活躍している人も何人か居て、レッスンも楽しくなってきました。
私が教室の看板を上げないのは、自分があくまで舞台人として生きていたので、稽古代の収入をあてにしているような形にしたくないからですね。門下生を集めて立派な風を気取っているお教室の先生には成りたくないのです。門下や配下を集め、○○流○○会等と体裁繕っていると、自分の音楽を自由にやって行くのが難しいという事を経験的に感じても居ますので、私は常に一音楽家として生きて、習ってみたい人には私の出来る事を少し教えるというスタンスが市場なっているように思います。邦楽に限らず他のジャンルでも門下だの系統だのと言っている人で、自由に自分の音楽を発表している人は見た事がありません。
私にとって音楽活動するという事は、創造するという事です。自分で音楽を創り舞台で聴かせるのはロックやジャズでは当たり前ですし、琵琶だったら永田錦心も水藤錦穰も鶴田錦史も皆同じように自分のオリジナル作品を創り、それを舞台をやっていました。画家や文筆家が自分の創作したものを発表するのと同じです。あくまで作品を創り発表する事です。それ以外にはありません。したがって表面の上手さを売ろう聞かせようとして執心している人の気が私には判りません。お教室で習った「敦盛」を舞台でそのままやるなんて事は私には全く持って考えられませんね。
photo 新藤義久
という具合なので、私の周りには、自然と何時ものスローガン「媚びない・群れない・寄りかからない」の精神を是とする人だけが集まって来てます。流派や組織、系統だの肩書をが気になるような人は、最初から私の所には来ないでしょう。私も手取り足取り教える事はしませんので、私の所に来ている人は皆、自分で課題を見つけてやってきますね。
今の時代、先ずYoutubeを観てリサーチするでしょうし、私の作品を聴けば、私がどういうスタイルで演奏し、何を考え志向しているのか、そういう所も解るでしょう。私は来る人に、自分がこの30年程で経験したことを基に、音楽的な事の他、サワリの調整の仕方や、色んな場面での舞台の務め方、繊細な絹絃の扱い等、動画では見えない事を教えます。大体皆さん、曲の表面的な部分等は、教えなくとも動画を観て自分でコピーして来ますので、私はその先を教えているという訳です。
私は薩摩琵琶を古典音楽とは捉えていないので、薩摩琵琶の曲の形式等は教えません。私自身は錦心流で稽古を始めましたので、多少の形式やフレージングなどは習いましたが、それらは次に創るものの参考(踏み台)になった程度です。勿論教えて欲しいという事であれば、私の知る限りに於いて、少しレクチャーしていますが、流派のものを知りたい人は流派に行けばよいだけの事。琵琶を弾くのであったら、先ず何よりも日本の文化への理解考察が第一です。私は新たな人が来ると、最初に古今和歌集とその解説書(鈴木宏子先生のものが解り易く且つ中古でも安いので勧めています)を買うように言います。日本の文化を育んできた歴史や文化の変遷等、そういうものに興味の無い人はどうにも稽古は始められません。私が琵琶を始めた頃、琵琶の会などに行って先輩方々と話をしてみて、歴史や文学に詳しい人があまり居ないのにびっくりしました。私は和歌の一つや二つさらさらと出てくる人が集まっていると思っていましたので、以外に思いましたが、今思えば、それがそのま琵琶樂の衰退を表していたという事ですね。
とはいえお茶飲みながら2時間位かけてのんびりしゃべりながらやっているので、全く厳しくやる事は無いですが、撥弦楽器は基本的な技術は同じなので、撥のタッチ等の基本技術はしっかりと教えます。琵琶ではタッチ以上に左指の運指もとても大事で、様々な方法を経験して動かせるようにならないと予定調和の稽古した事しか弾けません。定番のものに安住し、旦那芸に陥って、音楽を創造することが出来なくなったら音楽家としては終わりです。
琵琶を学ぶことで自由に自分の世界を羽ばたかせるようになって欲しいものです。