休日の過ごし方

今年はあまりクリスマスムードが感じられませんが、それでも街は年末で何だかわさわさしてますね。私はお陰様で年末いっぱい迄色々と声をかけて頂き、忙しく日々を送せてもらってます。今年最後の大きな舞台は、25日のカメリアホール銀河鉄道の公演です。楽しみにしています。

2022-12-25銀河鉄道表

こうしてお仕事を頂き、自分の演奏会もやって飛び回っているのは本当にありがたい事ですが、音楽の仕事は好きな事だけに、自分の周りにあるものが全てになってしまって、いつしか見えるものも見えなくなってしまいがちです。私はより良い創造をして行く為にも、時々何も予定を入れない休日を作るようにしています。音楽家としての日常から離れ何もしない時間は、私にとってはとても必要で、大きな公演などが控えていない時期を狙って、ゆったり出来る無計画な日を時々設けてます。

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琵琶樂人倶楽部SPレコードコンサートにて、蓄音機の名器クレデンザをバックに解説中 photo 新藤義久


私は邦楽家がまだHPを持っていない時代から、HPをプロのデザイナーさんに作ってもらい、一早く公開して、SNSも(現在は色々と現状を考え全て撤退してしまいましたが)かなり早い段階から参入していました。ネット配信に関しても初期の段階から世界に向けて発信し、アルバム11枚、曲は50曲程既に発表しています。さぞIT系にも強そうな感じですが、そうではないんです。全てこれからの時代を見越して、その道の専門家の意見を聞き、アドバイスに従って作ってもらったり、協力してもらってやって来ただけで、視野は確かに次世代に向けていても、私自身は結構なアナログ派なのです。先日はのんびり休日を2日間とりました。この所頭をクリアにすべき案件も色々とあったので、良いタイミングでした。

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幻の名器JUDO-J7とセット全景(CDプレイヤー:ラックスマンD-500、
フォノアンプ:ラックスマンE-03、
レコードプレイヤー:DENON DP-1200、SP:ARCAM:DELTA2 、
カートリッジ ortofon MC20s)


そんな休日には、先ず朝からオーディオアンプに灯を入れます(真空管マニアはスイッチを入れる事を灯を入れると言うのです)。もうCDの存在も無くなってきているこの時代に、真空管アンプとは驚かれますが、こういう時代に逆行したかのようなアナログ世界に浸る時間が一番の癒しなのです。
アンプを温めている間に、先ずは濃い目のコーヒーを淹れて、その日聴きたいレコードやCDを選びます。以前はレコードプレイヤーにMICROを使っていたのですが事情で手放してから、ここ10年程デンオン(デノンではない)を回してます。クラシックはCDの方が良い感じですが、ジャズはやっぱりLPが良いですね。音の生々しさが違います。
今回はギターが聴きたかったので、パット・マルティーノ、ジムホール、ジェシ・ヴァン・ルーラー、ジョン・マクラフリンのそれぞれのライブ盤のCDを聴きましたが、どれも本当に素晴らしい作品でした。こんな演奏は今では生演奏で聴くことが出来ません。現代のジャズは進化したというより、消化されて別のものになって行った様な気がしています。これもジャズという音楽が元々持っていた資質であり、運命なのでしょう。でも若き日に心酔していたものからは、なかなか抜けられませんな。

2022フルセット

楽器部屋の様子。左端に写っているのは、時々遊んでもらっている47年製Epiphone Broadway 


ある程度聴いて身体に染み渡ってきたら、今度はジャズをバックに、革靴の手入れを一通りして、ついでに革ジャケットにもラナパーを塗りたくり、時計のガワやブレスレットを掃除して、いつも使っている各種ノミを研ぎ(ついでに包丁も)ました。
オリジナル便せんそれから手紙を出すところがいくつかありましたので、万年筆のインクを足して、オリジナルの便せん(左画像)を前にして、コーヒーを飲みながらあれこれと文面を考えて、時にうつらうつらしながらのんびり一日を過ごしました。私は、生活ぶりは大雑把なくせに、妙に身近なものをこまめに手入れしていると落ち着くという変な所があるのです。

いずれにしても現代人の生活とは逆行するようなアナログぶりですが、多分こんな事をしながら脳を休めているんでしょう。24時間琵琶に浸っていると、知らない内に、そこからの逃避衝動が高まってくるのでしょうか。私は決して綺麗好きでキチンとしている性格ではないので、仕事の事を考えないでいるには、こんな感じで過ごす時間が私には合っているのだと思います。デジタルネイチャー等と言われる昨今ですが、なかなか私は頭の中が進化出来ていません。

現代はすべてが合理性を求めるあまり、かえって窮屈な感じが伴います。世の中に弾力というものがどんどん無くなって行くような気がしてなりません。ポリコレも過剰にのさばっていて、何も言えなくなっていますし、自由というものが人間の勝手で、その根本をないがしろにされ、履違えたイデオロギーになっている気がしてならないのです。ネットや技術で、色んなものが便利になり、今迄知らされていなかった事も明らかになりました。しかし部分的にはとても良くなっていても、人間社会の現状は如何でしょうか。心は豊かになったでしょうか。

150918_塩高氏ソロ菊図屏風前

箱根岡田美術館 尾形光琳作 菊図屏風前にて


時代に沿って生きて、活動を展開したりすることはとても大事なので、常に次の時代に眼差しを向ける姿勢は音楽家にとって必須の感性だと思います。しかし過去の素晴らしいものを忘れ去ってしまったら、目の前の時流に乗るだけで、今度その次の時代を創り出す事は出来ないと思っています。古典に学ぶのも正にそこです。古典に固執せず、古典を貴び、そして学び、その中から次世代へのヒントを掴み、次の時代へと視線を向ける。これがアーティストなのではないでしょうか。古典=権威と履違え、寄りかかっていては次の時代は見えて来ません。少なくとも私はそう思っています。

次世代を見渡す大きな視野と柔軟な感性がこれからはますます問われて行くと感じています。未だにマスクを外せない日本人は、これから大丈夫でしょうか。四六時中スマホを覗いてLineやtwitterに振り回されて一日が過ぎて行くような日々を少し休んで、PCのスイッチを切って、本来の自分の時間を取り戻さないと、時代の奴隷になってしまいます。
私はこんな休息の時間を取りながら、また新たな作品を創って、舞台に向かいます。

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