個性というもの

私は日々色んな所に出掛けているので、芸術家以外にも様々な方々に会います。何故か魅力的で面白い方ばかりに会うのですが、たまに無理をしているなと感じる人にも会います。私のような洛外の者は世の中を外側から見る事も多いので世の主流の意見とは違うと思いますが、どうも現代人は個性というものに囚われ、また同時に誤解もしているように思う事が多々あるように思えて仕方がないのです。


戯曲「良寛」能楽師の津村禮次郎先生と座・高円寺にて
8月に新潟の佐渡相川春日神社能舞台で再演します。

人間は誰一人として同じではありません。姿かたちも声も人生も皆それぞれです。だから本来はただ自分で在りさえすれば、自ずと個性が満ちていて保たれているのですが、現代社会に於いては、自分で自分を演出するのが個性と思っている人が多いのではないでしょうか。身に着けるものや出入りする場所等で「自分はこういう人間」という暗示をかけ,キャラを作って、またそれをアピールする。そしてそれが自分の個性であり、人生だと思い込んでいる。

服や身に着けるもので「自分らしく」あろうと、色んなものを選択するのは各人の好みですから結構な事だと思います。しかしその選んでいる服はメディアが宣伝しているものの中から選ばされ、ライフスタイルも皆、提供されたものの中で自分が選んでいる。つまり誘導されているにも拘らず自ら築いたと思い込まされて生きているのが現状ではないでしょうか。ワイルド系癒し系等々色んなタイプに自分をカテゴライズして、それに合う服を選ばされ、体系も髪型もそういうステレオタイプの何かに自然と近づくように誘導されている。ファッション雑誌ではタレントの誰々風のファッションや髪形が紹介され、美容室にタレントの写真を持ち込んでカットしてもらうなんてのが普通になっている。私にはそれが違和感なのです。


パフォーマーの坂本美蘭さん、ダンサーの牧瀬茜さんと
尺八:藤田晄聖 Asax :SOON Kim

立派な人間、格好良い人間、まともな人間という定形は幻想でしかないのです。時代が変われば、そんな定型もどんどん変わります。もう少し型にはまらず自由で良いと思うのですが。如何でしょう。
現代社会は経済や産業が基本になって、資本主義を是として、右肩上がりで成長して行くのが善であり正義でありという「ビジネス」が生活全般、根底に蔓延り、皆が年収や肩書を追いかけます。右肩上がりで成長するには、どこかから搾取しない限りは成長は無いし、石油も電力も求めれば求める程に自然を破壊して行く。しかし個人はそういう負の現実に疑問を抱かず目を向けようともしない。自分を取り巻く小さな世界だけを見て勝ち組だの成功者だのと自分と他人を比べ、その勝ち組に羨望の眼差しを向け、気づかない内に俗世間の物差しで自分の人生を測っている。挙句の果てに自分が何者であるか判らなくなって「自分探し」などと言って、またビジネスの餌になって行く。何だか残念な感じがしませんか。
現代人の目には、この豊饒な大地は見えているでしょうか。そこに人間の姿はあるでしょうか。そこに溌溂とした生命や個性はあるのでしょうか。

私にも色んな好みがあります。こだわりもあります。でも常に他と比較して生きていたら、人生は苦しみが増すばかりだと思っていますので、人は人、自分は自分と常に思っています。なるべく争いもしません。私にはスポーツは戦争と同じようにしか見えないので一切見ません。人間が感情むき出して争っている姿はどう見ても戦争のように思えてならないのです。ゲームも一切見たくないですね。トランプなんかもほとんどやったことがありません。まだアクション映画の方が如何にも作り物っぽいので見ていられます。
私は元々音楽活動を始めるにあたって何も持っていなかったので、捨てるものもありませんし、人と争う種が私にはありません。だから自己顕示欲がギラギラしている方とは組めませんね。音楽は分かち合うものであって争うものではないので、自分のやりたい事を自分のペースでゆっくりやっているだけです。

音楽家も本当に自分の想う音楽をやって欲しいです。ジミヘンを真似れば真似る程、何だか哀れに思うのは私だけではないはずです。勉強や稽古の為に真似るのは大いに結構。しかし上手に表面を物真似出来た所で本当に心の底から楽しんでいるのでしょうか。素晴らしい音楽を創り出した先人達は皆自分のスタイルを見出し、自分独自の音色を創り、自分のやり方を見出したのです。我々も自分の音色を創り上げ、自分だけのやり方を見つけませんか。それこそが先人へのリスペクトだと私は思います。
物事の根源に向かい本質を求め創り出して行くのがアーティストの姿だとしたら、現代という時代も判った上で、世間の常識や習慣ルールという幻想を乗り越えて、そのもっと奥にある生命や実体に向かって行って良いのではないでしょうか。人間が生きる事と創造する事はイコールです。過去なぞり、出来合いの小さな世界に憧れ、寄りかかり固執しているようでは何も創り出せないと私は思います。皆さんは如何ですか。

左 平野多美恵、久保順、右:灰野啓二 田中黎山 各氏と


個性は、何もしなくても元から備わっているもので、自分の存在そのものです。表面をお着替えすれば気分は変わるでしょうが、個性が変わるという事はありえません。自分の生き方をして初めてその個性が魅力として滲み出て来る。私はそんな風に思います。

もっと自分に向き合って、自分のやりたい事をどんどんやって行きたいですね。

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