珈琲タイム

先日の第206回琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達」は賑々しく終えることが出来ました。出演の皆さんも夫々オリジナル性に溢れ、とても勢いを感じました。これからもっと琵琶を自由に弾く方が出てくると良いですね。

善福寺2025

春の花を見ていると、頭の中に色んなイメージが浮かびます。先日の琵琶樂人倶楽部では「春陽」という樂琵琶独奏曲を演奏しましたが、これは2011年の秋にリリースした「風の軌跡」というアルバムの第一曲目に収録したものです。作曲は夏の終わり頃。震災の年でしたので3.11の記憶も重なり、穏やかな春の陽射しの中に、もう戻ることのない現状の姿も重なり、その暖かい陽射しの裏側の現実がメロディーとなって曲になりました。春は命の芽吹く季節ですが、生と死はまた表裏一体でもあります。そんなイメージと共に2011年の春の陽射しは特別なものがあります。

私は色んな出来事をイメージの中で捉える事が多く、現実を超えた世界に想いを馳せる事が、そのまま音楽に繋がって行きます。いつも珈琲を飲みながらそんな想いの中に遊んでいます。

私は午後に時間があれば珈琲を飲むのですが、少しリラックスしながらある種の瞑想状態に近くなって自分の心の奥底へと静かにアクセスしています。今自分がやっている事が本当に自分のやりたい事なのか。純粋に自分の音楽を創り演奏しているのか。声を掛けてもらって只飛び回って喜んでいるだけで終わっていないか。そして自分には何が出来て、何が出来ないのか、何が足りなりないのか。そんな自分の心の奥底にアクセスして行くと、新たな作品の発想が浮んで来るのです。

近代までは東アジアやバリ、アマゾンなどのシャーマンが居た所では、薬草などを使って自分の意識の底へダイビングするような夢見を実践していたそうですが、オーストラリアのアボリジニやチベットにも、今でもまだ一部そんな夢見が残っているそうです。夢見の時間は先祖や大地の動物たちの霊と直接出逢う大事な時間だったそうですが、私には何だかその大事さが判る気がするのです。私のはそんなに大層なものではないのですが、私にとっては珈琲が薬草と同じような存在で、珈琲を飲んでいる時間が夢見の時間という訳です。

18歳で上京して来てから、すぐに喫茶店でバイトをやり出したこともあって、珈琲の淹れ方も教わり、以来珈琲を飲むようになりました。以前も喫茶逍遥という記事を書きましたが、とにかく色んな町に行って、良い感じの喫茶店に入るのがささやかな楽しみでもあるのです。珈琲は飲むだけでなく、豆を挽いて淹れてる、その行為自体が儀式的で好きなのです。それだけでも気分転換になりますし。ちょっと発想を変えたい時、煮詰まった時には、とにかく豆を挽いて珈琲を淹れます。珈琲が傍にあった事で音楽を生み出して行けたとも感じています。

マッチs

上記のマッチの写真は高円寺にあったジャズ喫茶 Nagjaのマッチです。私はここにしょっちゅう通って珈琲を飲んでいました。私は酒も好きなのですが、残念な事にあまり強くなく、また飲み歩くお金も持っていなかった私にとっては、ジャズ喫茶で珈琲を飲む事がささやかなる日々の潤いだったという訳です。今は地元でそんな行きつけのお店もなくなってしまいましたが、思い返すと、20代~40代にジャズ喫茶で過ごした時間は、私にとっては貴重な時間でしたね。近現代の絵画や写真に触れたのもジャズ喫茶に大量に置いてあった写真集からでしたし、文学や演劇等、私の知らない事を、ここで知り合ったお客さんからよく聴かせてもらいました。あの頃ジャズ喫茶で見聞きした事は、今の私の音楽活動の土台のようになっています。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久


現代人は、とにかく日常に溢れるビジュアルや文字情報に振り回されています。それはそのまま自分を見失っているという事でもあると私は考えています。文明が発達し、便利な世の中になればなるほど文化が衰退して行く。現代はそんな時代ではないでしょうか。不便なく過ごせる現代社会の中では、目の前の事は見たり感じたりするけれど、自分の意識の中は見ようとしない。そんな日常の中に埋没して自分が進むべき道も見えず、文明に誘導され人生が過ぎて行ってしまっているのではないでしょうか。
珈琲を飲みながらゆっくりと自分を見つめ、来し方行く末を考える時間が今こそ必要な気がします。

もう物質文明の時代も終わりでしょう。多くのものやお金を持ち、身分や肩書を自分を固めるように背負い込んで生きる時代はとうに終わっていると私は思っているのですが、如何でしょう。
以前はCDを創るだけでも大変でした。でも今はネット配信で世界に届けることが出来ます。文明に誘導されるのではなく、文明を支えに文化を発信して行くようになっていて欲しいものです。人々の価値観が物にある時代は音楽以外の所で大きな労力とお金が必要でした。CDというものを持ち歩き、相手に見せないと話が始まりませんでした。今やっと物の時代から解放されてきて、意識も変わり、軽やかに風に乗って、自分らしくしなやかに生きて行く時が来つつあるように思います。その為にもゆっくりと自分を見つめたり、考える時間が必要なのではないでしょうか。

毎月琵琶樂人倶楽部でお世話になっている名曲喫茶ヴィオロン

まだまだ都内には良い感じの喫茶店があるので、またもう少し暖かくなったら喫茶店巡りをしながらゆっくりお散歩したいですね。お暇な方が居ましたら是非声を掛けてやってください。

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