先日の第200回琵琶樂人倶楽部は盛況のうちに終えることが出来ました。豆粒のように小さな会ではありますが、これ迄17年間毎月毎月好きなようにのんびりとやらせてもらって、本当に有難い限りです。御来場の皆様ありがとうございました。来年も是非よろしくお願いいたします。

そんな訳で私の曲は演奏家が自由に解釈できるように作ってあり、アドリブパートのある曲も沢山あります。私の一番最初の作品で一番の代表作「まろばし」は正にこの概念で出来ていて、相方によってまるで生きもののように違う音楽になります。でも「まろばし」には変わらない。共演者には、ただ譜面を読むのではなく、どんな世界を描きたいのか、その根底にはどんな世界観やどんな哲学を持っているのか、そういう事を問います。尚且つ相手の呼吸を感じながら演奏しないとどうにも演奏出来ないように巧妙に曲が創られています。その人が表現したい世界の実現の為の場を作るのが私の仕事。ちょっとプロデューサー的な感覚とも言えるかもしれませんが、私が一番影響を受けた音楽家マイルス・デイビスの音楽を聴いて辿り着いたスタイルです。とにかく共演者には、どんなタッチどんな音色で音楽を創って行くか、じっくりと考えてもらいます。リハーサルでも音を出す事よりも話をしている方が断然長いですね。そうしてその人自身の「まろばし」を創り上げてもらうようにしています。


このアルバムジャケットはジャズ史上の中でも屈指の名盤「Somethin’ Else」というレコードのもので、曲はその冒頭に入っている「枯葉」です。皆さんご存じだと思いますが、これはジョセフ・コズマ作曲のシャンソンの名曲です。しかしこの演奏はもうシャンソンの曲だとか誰の作曲という事でなく、マイルスのTpでないと成立しない、そしてこのメンバーでないとありえない「音楽」に成っています。私はこういうのを中学生の頃から聞いていたせいか、音楽はライブでリアルに音を出して初めて命が吹き込まれると思っているので、音楽は作曲家のものでなく、演奏家のものであり、誰が演奏するのかが重要なのだ、という事を頭に於いてずっとやって来ました。
クラシックのように決められた譜面での演奏でも、そこには様々な解釈があり音色があり、演奏家それぞれの音楽が在ると思いますが、私はもっと譜面を超えて演奏家が自由に羽ばたいて行ける音楽を目指しています。だからあえて譜面には指定を少なくして、どうすればよいか演奏家に考えて頂くようにしているのです。作曲者が何を意図しているのか読み解くのではなく、演奏者がこの譜面から何を発想しどんな世界を創り上げるか、そこを期待しているのです。演奏者側に表現するだけの想いや哲学、知識、経験、そしてお互いに対するリスペクトと共感がないと、何も出て来ませんので、演奏家にとってはある意味、酷な譜面かもしれません。

私はあくまで「創る人」でありたいのです。私も若き日には、ギターでスタジオの仕事や歌謡曲の歌手のバックバンドなどのお仕事も少しやってみましたが、私の表現も創造性も出しようがありませんでした。多少の工夫などはあるにしても、技術の切り売りで稼いで行くような仕事は私には出来ないですね。それに売ることが最優先で、売る為に「売れる音楽」を創るというのも、私にはあり得ません。私はあくまで自分が考えて創り出した音楽を演奏しリリースして行きたい。
何だかショウビジネスを見ていると、目先の楽しさや利益にしか目が行かず、そこに囚われて流されて大事な所を見失ってしまっているようで、正にそこが今の日本(世界)の衰退の根本原因のような気もします。
私はそういうショウビジネスの世界に居たくはなかったので、琵琶に転向したのです。しかしまあどこに行っても、売れる事や、立派な御身分の方が大事な先生方々が溢れていて、そこに魅力ある音楽はあまりありませんでした。結局自分でやるしかないという所に辿り着いたという訳です。

これからも演奏家がその魅力を最大限に発揮できる曲を創りたいですね。先ずは来週のレコーディングに集中します。
もっともっと柔軟に自由に音楽と関わりたいですね。