暖かくなって色んな舞台公演も色々と始まってます。先日はベテラン~中堅が頑張っているいくつかの舞台を観に行きました。エネルギーを感じる舞台は、どんなジャンルでもやっぱりいいですね。

世阿弥は年代ごとの花、つまり時分の花はまことの花ではないといいます。若さゆえの花で目立ったり褒められたりする事で勘違いしないように、かなり諫めています。私のように若き日に花があった訳でもない者は関係ないですが、とにかく調子に乗って滑らないように、常に地に足を付けてやる事を心がけてます。
世阿弥は父観阿弥の最後の駿河浅間神社(よく子供の頃行ってました)での演能の姿を「まことに得たりし花」としています。芸の物数を尽くすという方面は若手にゆずり、「安きところを少々(すくなすくな)と色へてせしかども、花は弥増しに見えにしなり、これ、誠に得たりし花なるが故に、能は枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」と書いていますね。また脇の為手に花を持たせて」とも書いていて、自分の演技を少々(すくなすくな)と抑制し、助演者の芸の花を持たせることが、場を華やかに彩どるとも言っています。そうしながら、一身に場をまとめ上げてしまう。老木でありながら技巧も狙わず、物数を見せる芸(よそ目の花)が無くなった後にこそ、「まことの花」を持っているかどうかが見えてくる。そんな父観阿弥の姿を理想としたのだと思います。

私も自分がそれなりの年齢になったこともあって常々感じているのですが、年を重ねた時点での芸は、残酷なまでにその人の器をそのまま映し出してしまいます。年を重ねれば重ねる程、器が問われるとは若手の頃よく先輩に言われていましたが、この年になると本当にそうだなと思えて来ます。
人が人生かけてやってきたことは、皆それなりのものがあると思いますが、ベテランと言われる方が、己個人の芸にいつまでも執着し、得意になって大声出したり、お見事な技を披露する事しか頭にないような舞台はさすがに見ていて厳しいものがありますね。世阿弥の言う所の「花」には程遠いです。音楽も演劇も美術も人間の営みや社会、時代と共に存在しているという事を考えれば、己の芸にしか目が行かず、自分が若い頃に見聞きしたものから離れる事も出来ないようでは、いくら上手でもただの旦那芸でしかないのです。
若い頃は色々とチャレンジするのは良い事だと思います。そこから何かを創り出す迄どんどんやる事を勧めたいですね。いつの時代でもどんなジャンルでも、アバンギャルドのような人の方が結局本物の伝承者になる例はいくらでもあります。パコ・デ・ルシア、アストル・ピアソラ、ドビュッシー、ラベル、永田錦心、鶴田錦史、ジミヘン、マイルスetc.もう切りがありません。創造の為に破壊することを厭わない、その時点での反逆者こそが、次の時代を創り導いて行ったのです。既存のレールの上に立ち、優等生をやっているような人は次の時代を切り開けません。だから何でもどんどんやれば良いと思います。

ただ残念な事に、若い時期に少しばかり暴れても、年齢が行くと、しだいに優等生に成りたがる人が多いのも事実ですね。私の周りにも若い頃は派手な格好でライブやっていた人が、そこそこの年になると肩書を並べ連ね。○○大学やら流派の名前や賞などをぶら下げ出して、権威の鎧を纏うようになる人が結構多いです。そういう例を見ると本当に残念に思いますが、それがその人の器という事です。習った技をきちんとやっていればいいのだ、と優等生的惰性の中で肩書を追いかける人は、音楽よりも先ずは自分を取り巻く社会に目を向けてしまって、幻想でしかない現世の成功を正統や真実だと思ってしまうのでしょう。幻想の鎧で自分をがっちり硬め、小さな村のお仲間になるより、心身共に軽やかな姿で舞台に立って、等身大の自分の音楽を多くの人に聴いてもらう方が私は好きですね。

私は何も持っていないからこそ、何でも自由にやって来れたし、若い頃は実力も評価もお金も何にも無かったのが本当に良かったと思っています。何もないから一から何でも自分で創って行くという事を自然とやって来ました。それは修行だとか苦労という事でなく、ただやりたいからやって来れたのです。何か一つでも手に入れていたら、私のように弱い人間は、つまらん欲に駆られ寄りかかり、がんじがらめになってもがいていたことと思います。いつも書いている「媚びない、群れない、寄りかからない」は自由で居られるための必須条件なのです。魯山人の言う通り「芸術家は位階勲等から遠ざかっているべきだ」というのは本当だと思いますね。
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なものが身に蓄積してきますが、キャリアを積めば積むほどに、身軽になって行く位でちょうど良い。音楽をやるのに余計なものはどんどん手放して、いつまでも自由に琵琶を弾いていたいですね。重たい鎧をまとっていたら、そこに花はおろか、蕾も付きません。
まことの花を持っている舞台人は本当に少ないですが、幸いな事に私の身近には、そう思える大先輩たちが何人も居ます。及ばずながらも、そういった先輩たちの姿を目指したいですね。