春を感じるこの頃ですね。今年も早々確定申告も終わり気分もすっきりなんですが、やはり暖かくなるという事は精神的にも安心感を感じられます。

演奏会は今月頭から色々と始まっているのですが、それに伴って各舞台のリハーサルも頻繁にやってます。3月1日には舞踊作家協会の「風姿花伝」という舞台で、私は福原百之助さんと花柳面先生の舞踊作品の音楽を担当するのですが、先日その下浚いがあり、久しぶりに花柳面萌さんや韓国舞踊のペ・ジヨン先生、バレエの雑賀俶子先生とお逢い出来ました。百之助さんとも共演は久しぶりなのですが、皆さんお変わりなく楽しい時間でした。やはり何かを創っている仲間というのは逢うだけで嬉しいものです。
面先生や雑賀先生とはもう20年近いお付き合いでして、本当にこれまで沢山の舞台を一緒に創らせて頂きました。それらすべてが私の財産であり、毎回が喜びであったと言っても過言ではありません。習ったものをお上手にやるお稽古事ではなく、常に新たな世界を創り続けて行くアーティストに、演奏活動の最初から囲まれてきたことは本当に感謝しかないです。雑賀先生は御年92歳となったそうですが、全く衰えも見せずお元気そのものでした。これからも是非また御一緒したいですね。
これは今回のチラシにも載っているキャッチコピーで、面先生が載せたそうです。この言葉は旧約聖書の中の有名な一節なのですが、クリスチャンである面先生らしいです。一言一言が今この時代には深く心に刻まれますね。
最近は自分がそれなりに年齢を重ねてきたせいか、人に逢うと色んなことを感じます。幸い私の周りには良い気というのか念というのか、そういうものに溢れた人が多く大変有難いのですが、自分に与えられた「時」を生きて楽しんでいる人は、確かに良い顔もしているし良い姿をしています。話をしていても成程と思わせるものがありますね。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
以前から感じていますが、人間はつくづく精神的な生き物だと、年を経るごとに感じます。何を考え、どこを目指しているかは、総て目つきや姿・所作、言葉に出ますし、いくら取り繕ってもそれは隠せません。舞台でも表面は何とか多少の技術でこなしていても、滲み出るものは隠せない。
現代では肉体優先で、アンチエイジングやダイエットなどが商売になる時代ですが、いくら皴を隠しても、その人となりは隠せません。サプリを飲んで健康維持をしている人も多いですが、それより精神を整えて、自分にとって最適な生活して行く事をしなければ、毎日お金を捨てているだけです。そんなことは皆うすうす解っていながら、目の前の安心が欲しいのでしょう。つまり目の前の欲望で現代社会は回っていると言う事です。
こんな時代に生きているからこそ、なるべく余計なものは背負い込まないようにして、心を常に柔軟にして、私以上でもなく私以下でもない自分でありたいのです。そうでないと定められたその「時」が来ても受け取ることが出来ません。世の波騒の中に在れば、気が付かないストレスも多く、ともすると変なこだわりや囚われが出て来て、硬いしこりのように自分の中に居ついてしまう事も多々あるので気を付けたいですね。時々リセットするような事をするのも必須だと思います。
私は気に入った偉人の言葉を自分で書き留めて、名言集のようにコレクションしているんですが、そんな言葉を眺めていると、自分の目が開き、自分の心が動き出して、次の段階へと進むことが出来ます。先日も書きましたが、どうも私は自分の生き方としては老荘思想が一番しっくりくるようです。こういう言葉に触れる事がリセットなのかもしれません。そうするとその言葉が生き生きとして輝いて私に向かってくるのを感じられます。自分が本来の自分の姿に戻った時に、改めて偉人たちの言葉に共感し、導かれて行くという感じですね。と同時に定められた「時」が自分の中に認識される。そんな風にも思います。
ただいくら素晴らしい名言でも人でもものでも、目の前のものにすがろうとするメンタルでは、自分の行くべき道は見えて来ません。いつまでも迷い続けるだけです。やはり「媚びない。群れない。寄りかからない」は忘れてはいけませんね。与えられた「時」を存分に生きる為にも、目の前に現れた導きを感じる為にも、自分軸でどこまでも生き、ありのままの自分で居ないと、その「時」を受け入れられないように思います。
森有正は「孤独とは経験そのものであって、孤独であるという事が、つまり人間であるという事」「孤独は孤独であるが故に貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのだ」と言っていますが、現代人は孤独=寂しいとしか思えない人が多過ぎるように思います。
現代は虚飾の時代だと私は感じています。特にSNSなどを中心に皆自分の事を何でも報告するかのように書き散らし大宣伝して、周りに認められたくて、見てもらいたくてしょうがない子供のようです。自分の仕事の成果を見てもらいたいというのなら判りますが、自分はこんな毎日事をやっている、こんなに色々知っている等々、承認欲求の虜となり、毎日書き込んでいる姿は、私には大人の醜さが感じられて仕方が無いのです。あんな業の塊のような渦の中に居たら、人の想念というか本性というか、そんなものが流れ出ている渦の中に放り込まれて、こちらの精神もおかしくなってしまいます。だからSNSは早々に撤退してしまいました。

私は本当に多くの「時」を頂いてきました。国内外の色んな場所にも導かれ、実に楽しい人生だと思っています。勿論困難な時もあります。しかしながらそれも与えられた「時」であり、自分の「時」なのです。今が定められた「時」と感じるのであったら、そのように動くのみです。そして曲が生まれてくる時、プロジェクトを始める時、その「時」は前触れもなくやって来ます。
自分の中に虚栄心が湧き起こるような時は、自分の中に何か不足やコンプレックスがあるのだろうし、何かにすがりたいすり寄りたいと思う時も、自分のやっている事に不安があるからでしょう。なるべく常日頃から自分を良い状態にして、日々の安定した生活をして「時」を得る為にも、時々リセットするような時間が必要ですね。
自分で何でも切り開いて行くパイオニア精神は素晴らしいですが、「定められた時」を知り、受け入れて行く事を知っている人と知らない人では、大きな差が生まれます。「時」を生きて行く。そんな人生でありたいですね。