毎年夏は家に籠って譜面を書いたりしている事が多いのですが、外で飛び回るだけでなく、じっくりと音楽に向き合う時間も必要だなと年を追うごとに思います。せかされる事なくゆったりと内面に向き合う事で、色んなものが見えてくるものです。

禅の話の中に「非風非幡」という話があります。旗が風に揺れている様を見ての問答みたいなもので、最後に「見ている人の心が揺れ動いているのだ」と禅の六祖慧能というお坊さんが言った話なのですが、私はこの話を何かにつけ思い出すのです。
何ともない日常が続いている中で、ともすると目に見えている事象ばかりに気が行ってしまいますが、先ず初めに揺らめく旗を見て初めて目に見えない風の存在を知り、目では捉えきれない世界を感じ、そんな世界に包まれている自分を発見したりすることで頭の中が急にクリアになってくる事が何度もありました。そしてその後には、慧能大師の言ったように、風や旗ではなく、実は自分の心が、揺れている旗や風に囚われていて、自分の周りの事を素直に見ていないという事も感じるのです。
音楽も同じ曲なのに聴く時々で違って聴こえるものです。ある時は心地良く、またある時にはうるさいものに感じます。風もそよ風が気持ち良いと思う時もあれば、同じそよ風でも野外舞台の時に譜面がバタバタすると、うっとうしいものに感じる。すべては揺れ動く自分の心の問題なのです。人間は自分の心に自分自身が振り回されているとも言えるのかもしれません。

先日、中東では「音楽は若者を迷わせる」として楽器を燃やす事態が起きたようですが、音楽はそれだけ人の心を揺り動かす力があるという事です。私は音楽芸術を規制する事には断固反対で、軍国時代のイデオロギーに色付けされた琵琶曲を一切演奏しないのも、そういう想いからなのですが、歴史的に見ても日本の軍国時代は勿論、音楽や芸術を規制した例は近代ヨーロッパでもありました。それだけ音楽は直接人間に影響してくるのです。孔子も「詩に興り、礼に立ち、樂になる」「国を変えるには樂を変えよ」と言って、樂の重要性を説き、質の高い音楽をやることを奨励しています。
音楽は現代ではエンタテイメントに分類されます。それらは観客を楽しませる事が目的なので、見ていれば誰もが楽しい気分になります。これは音楽に元々内包されている部分であり、心を満たす重要な部分でもあります。またそんな楽しい時間の中に在ると、直感的な感性が開き、あらゆる面で精神を育んでくれます。しかし現代に溢れる一方的に与えられた快楽は、ある種麻薬と同じで、目の前の快楽を追求するあまり、ものを考える事もしなくなりますし、どんどんと誘導されかねません。戦後アメリカの取った3S政策は正にその具体例ですね。
今の日本を見ると、以前はTVから始まり、現代ではネットを通じ、享楽的快楽的なものを日々24時間浴びせられて、目の前の刺激に身も心も浸たされて、文化はおろか思考迄も停止しているような感じもします。現代社会には静寂なんかまったくないですね。私が中央アジアを回った時、どの国に行っても過去から続く、その国独自の文化が残っていると感じました。もちろん古い因習から抜け出すことが出来ず、良くない面もあるのでしょうが、自国の古い歌すら全く歌えない現代日本人からすると、何かしらのものが受け継がれている事の大切さを改めて感じたものです。

日本は世界一の歴史を持つ国です。そんな国に生を受けながら戦後生まれの日本人は、音楽といえば外国の音楽しか頭の中に無いのが現状です。終戦直後から只管アメリカに憧れるように誘導され、ロカビリーやベンチャーズを真似して、これが流行の最先端だと叫び、ダンスホールなんかで目の前の快楽を貪っていたのではないでしょうか。戦後すぐに自国に甚大な被害をもたらした国の音楽が流行るなんて、他の国ではありえない事です。
やっと今の若い世代で、そういう所から解放されてきている人が出てきているのを見て少し安堵していますが、戦後70年以上経ち、次世代へ日本文化を伝えるべき世代が、日本の音楽も文学も何一つ判らず、受け継がれて来た歌の一つも歌えず、未だ、したり顔でロックやブルース、クラシックやオペラの蘊蓄を声高に語り、マウント取って喜んでいる。英語が喋れて海外の文化を解る事が上流階級の素養のように思い込み、強制的に欧米に目を向けさせられながら青春時代を生きて来たという事です。何故子供や孫を育てる世代になっても、自国の文化を誇りに思い、それを伝えたいと思わないのでしょうか。自分の足元に滔々と流れる世界最古の豊饒なまでの歴史と文化を持つこの風土を見ようともしないのでしょうか。誇りも持てないような国を、次世代に放り投げて渡すつもりなのでしょうか。だとしたら3S政策は大成功したという事なんでしょう。

音楽芸術には人を動かし導くパワーがあり、また諸刃の剣であるのです。目の前のエンタテイメントをただ快楽として楽しむだけでは、旗がひらめく所しか見る事が出来なくなってしまいまです。そこに風の存在すら感じられなくなって、自分の心が周りに煽られている事も全く気づかずこれからも生きて行く事が、幸せな事だとは私は思いません。自ら考え、感じ、創り出して、この風土と歴史文化と国に誇りを持って生きる事が一番自然であり、且つ全うだと思っています。これは何処の国に行っても同じだと思いますが如何でしょうか。それらを何も考えず、目の前の快楽を追いかけて生きて、風土も文化もないがしろにして来た現代日本人に、明日は訪れるのでしょうか。
風はこれからも同じように吹き渡るでしょう。しかしその風を感じ、人生を豊かにし、この風土を守るのは我々個人にしか出来ないのです。