Penguin Village

先週から物凄い熱さでしたので、ずっと家に籠っていたんですが、お陰で次の新曲の構想が具体化してきました。先日琵琶樂人倶楽部で演奏した「龍と詩人」はデュオの演奏は正直な所まだまだ実験という感じだったのですが、琵琶パートに関しては割といい雰囲気で出来たので、その後色々いじっていました。よく考えてみれば以前にも同じイメージで書いた曲がある事を思い出し、譜面を引っ張り出したところ、ピンと来るものがありずっともやもやとしていたイメージがはっきりとしてきたのです。樂琵琶とヴァイオリンのデュオを想定して只今作曲中です。ちょっと視点が変わっただけで、世界は広がるもんですね。乞うご期待

先日の琵琶樂人倶楽部 パフォーマー中村明日香さんと


私はもう30年以上TVを持っておらず、SNSもやっていません。以前はミクシーや最初期のFacebookを少しばかりやっていたのですが、 どうも色んな人の想念が見えてしまって見ていられません。たまにツィッターやFBの情報を送ってくれる友人が居て、少しばかりその情報も見るのですが、世に溢れる事件や国内外の情勢は勿論の事、個人的な記事でも、どうにもこちらの心が揺さぶられてしまって見ていられないのです。また音声をオンにした時に突然鳴るけたたましい音にも勘弁願いたい。

また私は子供の頃からオリンピックなどスポーツ全般、ほとんど見たことがありません。人と人が感情丸出しで争っているのは、私には戦争と同じに思えて仕方がないのです。まだアクション映画の方が、映画と割り切れるので見ていられます。
時々、スポーツや大河ドラマの話を当然知っているだろうという前提で話を振ってくる人が居るのですが、何故皆が同じものを見ていて、知っていて、興味があるとと思うのでしょう。そのメンタルが私には理解が出来ません。日本人は皆自分が「普通」で、皆同じ感性をしていると思い込んでいる人があまりに多い。

一時期「共同幻想」などと言う言葉がはやりましたが、根本的な部分での日本人としての感性に共通するものは私も感じていますが、俗事に対すること迄、皆同じと思ってしまう浅はかな思考は現代ならではかもしれません。

スティーブ・カーンが来日した時に観た「Drスランプ」を見て作った曲 live at 六本木ピットイン

私からすると日本全体が「Dr.スランプ」に出てくるペンギン村の中で暮らしているように見えます。音楽家芸術家も、同じ思考を持った小さな村を作りたがる。「和して同ぜず」とは程遠く、皆が「同」になって、同じ思考を持ち、同じ方向を見ていない人とは関わろうとしない。私には、そうした村感覚が、どうにも理解が及びませし、今の日本の衰退を作った元凶だと思っています。
何故個として、自分の意見を持ち、自分で動いて行こうとしないのでしょうね。いつもSNSで連絡取りあって、その中で何かやろうとするメンタルでは、いつまで経っても世界が見えず、村から抜け出せません。私はとてもペンギン村の住人には成れそうにありませんな。ちなみに上記の曲は、スティーブ・カーンというギタリストが「Dr.スランプ」を見て気に入って創った曲です。同じアニメを見ても、ペンギン村でアラレちゃんと楽しく遊ぶ事しか考えつかない日本人には、こんな曲は創れないでしょうね。私は六本木ピットインでライブを聴きに行きました。

今日本を苦しめ、衰退させているのは、この「同」の感覚ではないでしょうか。「和」ではないですね。皆が一緒だと思い込み、「普通」というのがまるで宗教のように蔓延している。マスクやワクチンの問題もそうですが、世界とつながる時代になっても目の前の情報しか入れようとせず、挙句の果てには自分と同じでない人とは一緒には生きられないという強烈なまでの排他主義的村人感覚が、あらゆるもののバランスを壊しているように私は思います。邦楽はこの村感覚=同族意識で流派や協会が凝り固まって、自分たちとそれ以外などと分けている間に、社会と溝が出来てしまったのではないでしょうか。個として世の中に立ち向かう邦楽人が出てきて欲しいですね。

2010年高野山常喜院独演会にて

色んな事を日々考えますが、私は「媚びない・群れない・寄りかからない」人生を生きているので、そんな私が琵琶を選んだのは当然だと思っています。小学生の頃よりクラシックギターを習っていましたが、その時から一人で演奏していましたし、ジャズギターを弾いていた頃もソロギターに強い関心がりました。前回書いたラルフ・タウナーやパットマルティーノ、ジョー・パス等、独自の世界を持ちながら、それを一人で表現できるプレイヤーに強い憧れを持っています。先ず個として表現すべきものがあり、それを具現化する事が出来るのがアーティストだと私は思っています。そういう土台があって、はじめてアンサンブルが成り立つと思うのですが如何でしょうか。

私が選ぶ共演者の方々も皆、独自の音楽観を持ち、それを表現する技量と感性を持ち、独演会も開いて活動している。一人で出来ない人が集まっても寄り集まっているだけで、「数は力」とばかりに目先のパワーで押し切る事しか出来ない。そんな表面的な力を行使しても、直ぐに内部から崩壊してくるのは現代日本の現状を見ていれば明らかではないですか。エコノミックアニマルと言われた70年代から、バブルを経て、この2020年代の衰退迄、これだけの変化衰退を見てまだ、次
世代を見据え変わろうと思わないのでしょうか。良いところは継承し、変えるべきところは積極的に変える意思を持たない限り、物事は継続できません。それは古典の中に、ありとあらゆる事例として書いてあるではないですか。今の日本は末期の平家ようなものです。

森有正森有正は「孤独とは経験そのものであって、孤独であるという事が、つまり人間であるという事」「孤独は孤独であるが故に貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのだ。」と書いていますが、私はこれらの言葉に深く共感します。孤独をいつも恐れている現代日本人は、その孤独感を紛らわすために目の前を盛り上げてくれるエンタメに日々血道をあげて本質を考えようとしないでいる。上記の言葉の後には「自分の勝手で作りだした孤独程、無意味でみにくいものはすくない。本当の孤独は孤独からは生まれない」と続きます。

ペンギン村で遊んでいるのも、そろそろ終わりにしないと。

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