らしく生きる

世の中色々と動き出していますね。先日、我が町阿佐ヶ谷でもジャズストリートというフェスが開催され、盛り上がっていました。LAST_GUITAR(@lastguitar) • Instagram写真と動画

お陰様でこの秋は私も色々と演奏の機会を頂き、忙しく動き回っています。新作あり、コラボありで、あれもこれも考えなくてはいけないし、やらなくてはいけない事も多々あるし、常に何かに追われている感じなので、一応のんびりとやっているつもりでも、頭の中はいつもやるべきことでいっぱいです。まあこれが私の日常でありスタンダードな状態なのですが、こうだからこそ作品も生み出されて行くのでしょうね。
先月初演したメゾソプラノと能管とのトリオ「Voices」は、先日7 arts cafeにて、能管をフルートに替えて再演しましたが、なかなか良い感じになりました。来年は尺八での再演も予定していますし、ヴァイオリンでもやってみたいと思っています。もはや私の重要なレパートリーです。その他琵琶の独奏曲「東風(あゆのかぜ)」も完成しましたし、今週初演する「響声」も書きあげました。こうして自分の作品群が充実して、自分の表現する世界が具現化してくるのは、ワクワクしますね。まあ当分追われている位が良いという事なのでしょう。

年を重ねるごとに自分らしいやり方になって行くのは嬉しい事です。私は元々が「俺は俺」という性格なので、あまり人の事は気にならない事もあり、音楽に関しては余計なストレスは無いですね。先日も長い付き合いの友人と話をしていたのですが、お互い自分のやりたい事をやって来たから、こうして今でも飛び回れるんじゃないかという結論に落ちつきました。

photo 新藤義久


そんなわがまま放題の私でも、小さな日々の出来事にざわざわしたりして日々を生きています。活動していれば波騒は常なる事ですし、人間生きて行く為には、死ぬまでそんなざわざわが尽きないと思います。そういうものが無いという人が居たら、それは嘘をついているか、目をつむっているか、もしくは虚勢を張っているかのどちらかでしょうね。ようはそんなことを日々感じながらも、そういうものに振り回されないという事でしょうか。
ストレスは様々ありますが、それらは往々にして、いつも自分中心な視点で物を見て、自分を守ろうとする事から起きるものではないでしょうか。人間というのは、実は子供よりも大人に成れば成るほど、「自分はこうでありたい」と思うし、周りや社会から自分を認められたいという欲が強くなるので、自分を証明してくれるお墨付きが欲しくなってしょうがない。肩書や受賞歴等があるのが立派な人だなんて思っている人は、自分の存在を守ろうとして世の中生き辛いでしょうね。

芸術に身を投じて生きている人は、自分が過去に創り上げた作品に寄りかかり、焼き直しをする事ですら恥ずべき姿として認識しています。創造をその中心に据えていれば当然のことですが、そんな芸術家も他から与えられた「あなたが一番です」なんていう賞や肩書きを頂くと、いつしか看板に挙げて、それに寄りかかって、俗に陥ってしまうものです。余計な肩書はかえってその人の弱さを顕わにしてしまいます。魯山人が言うように「芸術家は位階勲等から遠ざかるべき」というのは本当だと思います。やはりいつものモットー「媚びない、群れない、寄りかからない」が一番しっくり来ます。何かもらっても、有難くしまっておく位でちょうど良いのではないでしょうか。

さて、今週は静岡の清水区と、藤枝市のお寺で演奏会があります。11月4日は清水区の龍華寺。ここは作家高山樗牛ゆかりのお寺という事で、樗牛の「滝口入道」に描かれた横笛と滝口入道の物語で、新作を作りました。篠笛と琵琶の合奏曲(+短歌朗読も入ります)です。乞うご期待。そして次の5日は藤枝の蓮生寺。その名の通り熊谷次郎直実(蓮生房)ゆかりのお寺。こちらでは勿論「敦盛」を演奏します。どちらもいつもの相方 大浦典子さんとのデュオでやらせて頂きます。お近くの方是非お問い合わせくださいませ。
4日清水 龍華寺  問い合わせ  konita.seiji@shizuoka.ac.jp  19時開演
5日藤枝 蓮生寺  問い合わせ  nishino@.thn.ne.jp     14時開演

この二つの演奏会は静岡大学の小二田誠二先生の企画なんですが、ここ数年小二田先生には大変にお世話になっていて、昨年は同じく静岡県の焼津にて演奏の機会を頂きました。

やっと生まれ故郷で演奏会を開く事が出来、本当に嬉しいです。私はこれまで静岡では、市役所に頼まれてロビーコンサートをやった位で、しっかりとした演奏会はほとんどやっていませんでした。それは今思えば、どこか私自身が過去と距離を置いていたせいかもしれません。私の父母は本当に穏やかで、父の怒った顔は見たことが無いし、母は料理と裁縫が得意で、小さな家ながら豊かな子供時代を過ごすことが出来ましたが、そんな両親も既に亡くなり実家も処分してしまいました。もう私の帰る所は静岡には無い事もあり、静岡に行く機会もあまりなかったのです。しかし年齢を重ね、そろそろ脱東京というキーワードも自分の中に出て来ましたので、そろそろ帰るべき所に帰って行く時期なのかもしれません。今回は同級生たちも数人来てくれるようですので、その再会も楽しみです。

まっさらな無垢な心に帰って行くような生き方をしたいものです。そしてそんな心で琵琶に相対して行きたいのです。

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