ひびきあう絵 みつめあう音

先日、新横浜のスペース・オルタにて「ひびきあう絵 みつめあう音」の公演をやってきました。これは3.11のチャリティー公演でしたが、関わる全員の熱量が大変高く、公演前には新聞でも取り上げられ会場は満席、当日券も出すという賑わい振りでした。

私はここで震災詩人 小島力さんの詩「草茫々」に曲を付け初演をさせてもらいました。最初にメゾソプラノの保多由子先生から詩を見せて頂いた時には、これに音楽を付ける必要はないのではないかとも思いましたが、画家の山内若菜さんの作品「牧場 放」(上記チラシ)を見て、自分が当初感じていた以外にももっと多くの視点を感じる事が出来、メロディーに言葉を載せるという事から解放され、創作の糸口をつかむことが出来ました。
メンバーもメゾソプラノと琵琶に能管を加える事で、更に広がりのあるものが創れたように思います。
この作品は来月、横浜日ノ出町に7 arts cafeでも再演します。残念ながら能管の大浦典子さんは参加できないので、あえて能管とはアプローチの違うフルートの久保順さんを迎えて、また違う視点で取り組んでみようと思っています。

実は今回演奏したスペース・オルタは琵琶に縁の深い所で、以前は田原順子先生や錦心流の中谷襄水氏などが盛んに演奏会を開いた所だったようで、会場のプロデューサーの方に興味深い話を色々と伺いました。そんな場所で演奏出来るのは有り難いですね。今回はまた全曲、私の作曲作品での演奏会でしたので、その嬉しさも倍増しました。
当日のセットリストは左の通り。第一部が「風の宴」「祇園精舎」「まろばし」。第二部は新作「Voices」「祷~Ave Maria」

開場は演劇の小屋なので響きがなく、PAのお世話になったのですが、ちょっと深い残響に任せて、たっぷりと間を取って演奏させて頂きました。

そして演奏中に客席で聴いていた山内若菜さんが私をスケッチしてくれました。許可を頂いたので、載せさせていただきます。

何とも嬉しいですね。今にも音が鳴りそうな感じがします。それに若菜さんとお話していて面白かったのは、「琵琶は丸と三角がとても印象に残っている」という言葉。確かに丸い胴と三角の撥なんですが、今迄そういう視点で見てくれた方は居なかったので、その視点をとても新鮮に思いました。さすが画家は見ているところが違いますね。こういう視点や感性に出逢うと、こちらの目も開きます。芸術は常に無垢な感性と共に在り、自由で、常識や因習、村意識のような偏狭な視野から解放されているからこそ成り立つもの。嬉しい出会いを頂きました。

photo 新藤義久
音楽活動をしていると、己の頭の中だけで完結してしまったり、またいつしか仲間内という村のような枠を作ってしまいがち。それだけ世には波騒というものが沢山あり、己もまた気が付かない内に訳の分からない枠を自分の中に作ってしまうものです。
特に音楽はショウビジネスと背中合わせにあるだけに、自分自身が上手や名人を目指す事を目的として行く芸人の枠に居るのか、それとも純粋に創作活動をして行く所に居るのかが判らなくなって、自分の行く道を見失ってしまいます。舞台に立つとはエンタテイメントの世界に身を置くという事でもあるので、よくよく自分自身を見つめていないと自分で自分が解らなくなってしまいます。有名になってお金が入って来るそんなエンタテイメントの世界にはトラップがいっぱいあるのです。私が流派や協会の琵琶人よりも芸術家と積極的に交流するのは、自分をいつでも創造する状態にしておくためです。

今回の作品「Voices」も、先ず小島力さんの詩があり、そして山内若菜さんの作品にインスパイアされたからこそ出来上がったものです。また演奏のメンバーとの意見交換もとても大切で、作曲したのは私ではありますが、皆それぞれに意見を出し合い、アンサンブルを深めて行ったからこそ作品は出来上がったのです。そして更には3.11の日から今迄、日本の社会や我々が過ごしてきたこの時間というものもとても重要でした。それら全てがあってはじめて音楽作品として創られて行ったのです。それは9.11をテーマとした拙作「二つの月」に於いても同じです。2001年に作曲・リリースした作品を、2018年に再アレンジを施して再びリリースしたのは、17年間という時間があったからなのです。それだけ時を経るという事は人間にとって重要な事だと私は思っています。
そして舞台で演奏する時にはそこに集ってくれた方々の感性も大きく影響して鳴り響きます。場の力も大きいですね。スタッフの想いも勿論の事、今回は初演をあのような形で迎える事が出来、あの曲に新たな命が宿ったように思いました。こうして作品は歩みを始めて行くものだと思っています。

2017・2018年 福島 安洞院 3.11祈りの日公演

今回の公演はフクシマ応援隊の主催による会だったのですが、震災から10年以上を経て、今また原発を再稼働、そして新設などという声も出てきました。日本は本当にどうなって行くのでしょうね。
日本人は良くも悪くも、すぐ忘れてしまうと言われます。原爆を落とされたすぐ後に「憧れのハワイ航路」という流行歌がヒットして映画まで作られるなんてことは他国では考えられないでしょう。辛い事を水に流して忘れていったからこそ、長い歴史を紡いできたという方もおられるかもしれませんが、何でもかんでも辛い事は忘れてしまえという姿勢のまま、また3.11と同じ事を繰り返してよいとは、私には到底思えません。

日本は歴史が長いだけに素晴らしいものが沢山あるし、文化面や精神性に於いても学ぶべきものは多々あります。だからこそ今、残し伝えて行くべきものと変えて行くべきものをはっきりと認識する「創造と継承」の姿勢と精神が、今後の日本の課題のように思えてなりません。

箱根岡田美術館にて

社会はこれからどんどんと発達するのでしょう。しかし人間自体はそう変わるものではありません。現代社会は自分で把握できないテクノロジーに囲まれ過ぎて、物に振り回され、「物で栄えて、心で滅ぶ」状態になってはいないでしょうか。
世の中は、テクノロジーは勿論、経済や政治・軍事等何一つかけても国家は運営できない事は、世の中に疎い私でも、それなりに承知していますし、特に今は周辺国との緊張関係の中で、その舵取りはとても重要で且つ微妙なものである事も私なりに理解はしています。だからこそ今後の日本社会がより良い方向に行く為にも、かつて福島でどのような事が起こり、その後どうなって行ったのかを発信する事も大切なのではないでしょうか。
私は微力ながらも、音楽を聴き、絵を観て、人間同士が会話をして手を取り合って行く、そんな身体で感じる音楽をどんどんと発信して行きたいですね。

今回作曲した「Voices」は是非これからも再演を繰り返して行きたいと思いました。

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