何だか急に寒くなってきましたね。先週の土日16日,17日に静岡県焼津市にある「帆や」さんという古い家屋で収録をしてきました。海岸にほど近い浜通りに在る古い商家をリノベーションして、宿として再生してあるのですが、近代の雰囲気がそのまま残っていて、実に趣のある場所でした。

収録当日の朝は時間があったので、海沿いの石津浜公園に行ってのんびりしていたのですが、凪の海をぼんやり眺めていると、10代の頃の記憶が溢れるようによみがえってきて、「あの10代の頃から何と長い旅をしてきたんだろう」なんて、ちょっと感傷に浸ってしまいました。そして私はやっぱり静岡の人だな、としみじみしてしまいました。
私の住んでいた実家は海からはちょっと離れた所でしたが、それでも海へは自転車で行ける距離だったので、中学高校の頃はしょっちゅう用もなく海に行っていました。大浜海岸が一番近かったので、いつも大浜でしたね。時々友人の住んでいる用宗海岸にも行っていました。明け方や夜の海は結構怖いのですが、静岡の海は凪の事が多く、何をしていたんだか、ずっと海を眺めてました。
そんな少年時代だったせいか、先日の石津浜公園から見る凪の海は、懐かしいを超えて、もう自分の中の風景として見ていました。既に両親も亡くなり実家も処分したので、静岡には私の帰る所は無いのですが、この風土は紛れもなく自分の育った風土であり、帰るべき所という想いが、目の前の凪の海を見ながら、自分の内に満ちて来るのを感じました。
私は山の中なども好きで、山でひっそりと仙人生活なんてのにも憧れがあるのですが、凪の海はもう憧れでもなんでもなく、私のこの身体の原風景として、ずっとあるものという感じがしてなりませんね。
30代の頃、実家の玄関先にて
現実の私はまだまだ音楽家としてやりたい事は山のようにあるし、音楽活動をするには東京に居ないと出来ないことも沢山あるので、当分は離れられないとは思うのですが、いつか帰るべき場所に帰って行きたいですね。
道元禅師でさえ、最期は故郷へ帰っているのですから、人間ある程度の年齢になると、故郷へ帰りたくなるのでしょう。東京に出てきて人並の経験をしてきたのですが、ある時からいつも室生犀星のこの詩が頭に出て来ます。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや」
これ迄音楽活動では、数多くの公演を国内外でやらせてもらってきたし、CDも色々とリリースして、自分が思う以上にやれてきました。本当に感謝しかないと日々感じていますが、人生全般に於いては、人並に様々な想いを持って~時にはままならない事も~生きて来ました。それもまた人生だと納得していますが、そんな様々な想いもひっくるめて、自分自身が落ち着く場所に帰って行くというのは、究極の人生の目的なのかもしれません。
全てはこの海に帰って行く、そんな気持ちが満ちて来た二日間でした。
これからは故郷静岡で、どんどん演奏会をやって行きたいと思っています。
