凪の海

何だか急に寒くなってきましたね。先週の土日16日,17日に静岡県焼津市にある「帆や」さんという古い家屋で収録をしてきました。海岸にほど近い浜通りに在る古い商家をリノベーションして、宿として再生してあるのですが、近代の雰囲気がそのまま残っていて、実に趣のある場所でした。


今回は無観客による収録でしたが、スタッフは皆静岡や焼津の方々でしたので、懐かしい話を随分としました。駄菓子屋で食べたおでんの事や、黒はんぺんはフライが最高!、なんて他愛もない話なんですが、私にはどれもこれも、一気に時間を超えて子供の頃へと飛んで行ってしまうような楽しい時間でした。また今回は一泊して焼津の街も堪能しました。焼津は私の故郷静岡の隣町で同じ文化圏なので、風情が似ていて、とても懐かしい感じがしました。
収録前日の夜は、地元では知れた「金寿司 地魚定」というお店に連れて行ってもらって、新鮮な魚を頂きました。リーズナブルで庶民的なお店なのですが、あのクオリティーは都会では高級店でもなかなか味わうことが出来ないだろうと思えるほどのレベル。とにもかくにも魚が旨い。本当に旨いのです。そして収録当日のお昼には、漁師さんが食べにくる小川港の魚河岸食堂にも行きましたが、海の幸があるという事は何と豊かな事なんだろう、としみじみ思いました。私はこんな豊かな土地で育ったんだと思うと、殺伐とした東京を本気で脱出したくなりましたね。

石津浜公園 あいにく曇りでしたが、晴れていれば前方に富士山がくっきりと見えます


収録当日の朝は時間があったので、海沿いの石津浜公園に行ってのんびりしていたのですが、凪の海をぼんやり眺めていると、10代の頃の記憶が溢れるようによみがえってきて、「あの10代の頃から何と長い旅をしてきたんだろう」なんて、ちょっと感傷に浸ってしまいました。そして私はやっぱり静岡の人だな、としみじみしてしまいました。
私の住んでいた実家は海からはちょっと離れた所でしたが、それでも海へは自転車で行ける距離だったので、中学高校の頃はしょっちゅう用もなく海に行っていました。大浜海岸が一番近かったので、いつも大浜でしたね。時々友人の住んでいる用宗海岸にも行っていました。明け方や夜の海は結構怖いのですが、静岡の海は凪の事が多く、何をしていたんだか、ずっと海を眺めてました。
そんな少年時代だったせいか、先日の石津浜公園から見る凪の海は、懐かしいを超えて、もう自分の中の風景として見ていました。既に両親も亡くなり実家も処分したので、静岡には私の帰る所は無いのですが、この風土は紛れもなく自分の育った風土であり、帰るべき所という想いが、目の前の凪の海を見ながら、自分の内に満ちて来るのを感じました。
私は山の中なども好きで、山でひっそりと仙人生活なんてのにも憧れがあるのですが、凪の海はもう憧れでもなんでもなく、私のこの身体の原風景として、ずっとあるものという感じがしてなりませんね。

30代の頃、実家の玄関先にて
現実の私はまだまだ音楽家としてやりたい事は山のようにあるし、音楽活動をするには東京に居ないと出来ないことも沢山あるので、当分は離れられないとは思うのですが、いつか帰るべき場所に帰って行きたいですね。

道元禅師でさえ、最期は故郷へ帰っているのですから、人間ある程度の年齢になると、故郷へ帰りたくなるのでしょう。東京に出てきて人並の経験をしてきたのですが、ある時からいつも室生犀星のこの詩が頭に出て来ます。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや」

私はこの詩を事あるごとに読み返し、ずっとどこかに突っ張った心を持って故郷と対峙していましたが、もうそんなポーズも卒業ですね。身も心も落ち着くべき所に落ち着くのが良いし、そういう環境から生まれ出づる音楽を創る年齢にもなってきたという事なのかもしれません。
これ迄音楽活動では、数多くの公演を国内外でやらせてもらってきたし、CDも色々とリリースして、自分が思う以上にやれてきました。本当に感謝しかないと日々感じていますが、人生全般に於いては、人並に様々な想いを持って~時にはままならない事も~生きて来ました。それもまた人生だと納得していますが、そんな様々な想いもひっくるめて、自分自身が落ち着く場所に帰って行くというのは、究極の人生の目的なのかもしれません。
全てはこの海に帰って行く、そんな気持ちが満ちて来た二日間でした。
これからは故郷静岡で、どんどん演奏会をやって行きたいと思っています。

楽琵会にて Photo 新藤義久



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