旅がらす2021~あわいに生きる

やっと気持ちの良い季節となりましたね。先週迄は暑さが残り、暑いのが苦手な私としては結構厳しかったですが、やっと身体も心も楽になりました。そしてありがたいことにこの秋も、色々とお仕事を頂いて飛び回っています。

先月の「中秋名月浴」にて、舞踏家の藤條虫丸さん、魔訶そわかさんと  photo 新藤義久


先月の西横浜の「中秋名月浴」辺りから、動き出してきたのですが、今月は最初に「熱海未来音楽祭プレイベント」、すぐ後に池袋あうるすぽっとにて「能でよむ」公演。大阪梅田のNHKカルチャーセンターでの講座と続き、今日は東洋大での特別講座、そのまま焼津に渡り、静大の「地位応援連携プロジェクト」、「能でよむ」ツアーin新潟、京都「古典の日」、隣町珈琲での「銀河鉄道の夜」公演。続いて「能でよむ」ツアーin熊本と、怒涛のように11月頭までの間に凝縮して続いております。
昨年もそうでしたが、このコロナ禍にあって、こうして様々な所とご縁を頂けるというのは、音楽家として感謝以外のものはないですね。

琵琶樂人俱楽部にて photo 新藤義久
旅をするという事は、音楽家にとって宿命のようなもの。今はあらゆるメディアがあって世界の音楽が自宅で聴けるようになりましたが、基本的に音楽家は現地に行って、その土地土地で演奏するのが仕事です。能におけるワキのように旅をして、そこで土地の風土、そこにに住む人や精霊等々あらゆるものと出逢い、交わるのが我々の生涯であり、また仕事であると私は思っています。家に籠って作曲だけやっているというのは、私には考えられません。作曲も演奏も両輪として我が身の内になくては、私の音楽は成り立たないのです。だからどんなにCDやネット配信で売り上げが伸びようが、出かけて行って演奏するのは私の基本の活動です。
私は琵琶を手にした最初から、ずっと旅をしていました。関西が中心でしたが、ほぼ毎月どこかに出かけ演奏して回っていました。それは本当に毎回が喜びであり、且つとにかく楽しい時間でもありました。特に6月と秋辺りは週末ごとに色々な場所で演奏会があって大忙しでした。それがこんな大変な時代にあっても変わらず続いているというのは、嬉しいとともに、こういう人生を歩ませてもらっているという事に深い感謝の気持ちが年々深くなっています。

旅に出るというのは、ある意味現実から離れるという事でもあると思います。現実から離れ、少し地上から浮いて、現実と非現実の「あわい」に身を置く事と言い換えることが出来そうです。琵琶などを弾いていると霊感の強い人によく出会いますが、お寺などで演奏していると、琵琶を弾いたとたんに蝉が一斉に鳴き出したり、不思議な現象にもよく出くわします。これも現実と非現実、生と死、此岸と彼岸のちょうど境に居て、どちらとも交信が出来る状態に在るという事なのかもしれません。旅はそんな音楽家の元々持っている体質を顕わにするのでしょう。

楽琵会にて  photo 新藤義久


こんな暮らしをしながら、もう随分と年を重ねて来ましたが、私にはこれが一番自分に合った生き方なのだな、と最近よく思います。世間の常識や感性では、なかなか音楽活動は続けられません。経済的な問題は勿論の事、「これが普通」だと押し付ける世の視線に振り回されてしまう人も多いですね。幸か不幸か私はお金や肩書には元から無縁ですし、世の同調圧力的視線もあまり感じることなく生きてこれたからこそ、今でも旅の空に居る事が出来るのでしょう。
音楽をやって行くには、技を極めるのも大事なことですし、作曲するのも大事ですが、音楽を聴いてもらって初めてその音楽が成就するので、どうしても色んな場所に行って演奏する事は音楽と切り離せません。時代と共に変わる世の中ですが、音楽家の持つこの宿命は、時代や社会、土地が変わっても相変わらずだろうと感じています。

さて今日の東洋大では琵琶樂の歴史の話と共に、その周辺のお話も色々とする予定です。そして終了後すぐに向かう焼津では小泉八雲ゆかりの土地でもあるので、安田登先生、佐藤蕗子さんと耳なし芳一を収録します。「あわい」に居た芳一が、平家の霊を呼び寄せたのも最近は判るような気がします。

先月の「中秋名月浴」にて、Perの伊藤アツ志さん、魔訶そわかさんと 
photo 新藤義久


その芳一を現世に留まるように仕向けたのは、実は和尚さんのような気がしてならないのです。和尚さんは僧侶でありながら、既に彼岸の世界を感じられなくいなっていたのかもしれませんね。芳一は耳を取られた後、名声を得てお金持ちになったと描かれていますが、それで幸せだったのでしょうか。自分の人生を生きたのでしょうか。耳を無くし、彼岸の声を聞き取るアンテナを失ってしまったのかもしれませんね。「あわい」に住み、この世ならざる者の声を受け止めながら生きていた頃の方が、他の誰でもない自分の人生を生きていたのではないか。私にはそう思えて仕方がないのです。

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