七夕の頃

世の中はますます騒然としていますね。オリンピックを控え、コロナパンデミックは相変わらず収束の気配はないですし、どう考えてもここ何年かの気象は変です。私はこれらの事が、単なる事故や気象変動とは思えないのです。コロナも、無理な開発も、温暖化による気象も皆、現代人の心が招いたことのように感じてなりません。

良寛の故郷 出雲崎

日本は元々自然と共に生きてきた国です。別の言い方をすると、自然と折り合いを付けて行かない限り日本人は生きて行けなかったとも言えます。地震は多いし活火山もある。豪雪地帯もある。雪も降らず、穏やかな気候の所など、そう多くはないのです。静岡、和歌山、宮崎が天領地だったのは、その数少ない、穏やかな風土だったからではないでしょうか。

日本の風土は日本人の感性を育てました。しとしとと降る雨は詩情を掻き立て、吹き来る風にこれから来るだろう未来を予感し、山や海は異界を感じさせ、恵みをもたらしてくれました。こんな自然の情景の下で文化を育み、日本の感性を熟成させてきたのが日本です。そしてこの豊かな自然環境は、ただ美しいだけでなく、時に脅威であり、人の力が及ばないものとして感じていたからこそ、そこに感謝も畏怖も感じて来たのではないでしょうか。しかし今、現代日本人はその心を忘れてしまった。
国が成り立つ一番の根幹は、その国独自の感性や文化の継承です。その上に、それぞれの国独自の経済や政治が乗って国家が出来上がっているのです。日本も、この風土が育んだ心を失ったら、当然自然は牙をむき、政治も混乱し、国内は荒れ、対外政策でも失敗するでしょう。
つまり、これまで日本が創造してきた豊かな文化から目を背けた結果が、今の日本の現状だと私は思っています。心を失った知識や技術は悲劇しか生まない。日本はその最悪例である原爆を体験したにも関わらず、顧みることをしなかった。

文明はもう、ある頂点を越してしまったのかもしれません。私はSNSもやっていないし、TVも持っていないし世の流行の外側に居るのかもしれませんが、そんな外側から社会を見ると、「電車の中でも食事中でもスマホから手が離れず、SNSのお友達の小さな輪の中に視野と思考が囚われ、寒い時には暖まりたいたい、暑い時には涼しい部屋に居たい、出かけなくても世界中の美味しいものが食べたい、どこへでも旅行に行けて、いつでも映画が観れて、歌って踊れる楽しい音楽が聴けて、面白い事が何かないかと毎日探しまわっている」。そんな現代人の姿が見えて来ます。それらは全て与えられたエンタテイメントです。人は誘導され、目の前の欲望の充実に振り回されているに過ぎないのではないでしょうか。私にはそんな風に現代人の姿が見えるです。
日本は戦後の高度成長、80年代のバブルと一貫して経済を中心に追いかけ、その右肩上がりの発展を美徳だ成功だと讃え、常に新技術を作り出し、それに携わる知識人という人々を賞賛し、ビジネス化して沢山儲けた人を成功者と讃え、皆がその成功に憧れを持って、そう成れるようにと突っ走ってきました。しかしそんな世の中を作ってきた知識人やエリートが頑張れば頑張る程、社会は風土から離れ、世界の中で格差は広がり、紛争が起き、環境を破壊し温暖化が進み、どんどんと連鎖し行く。この方法がまともだとは、私はとても思えない。
SDGsなどが叫ばれていますが、その陰でどんな悲劇が起きているのか。皆さんは知っているでしょう。化石燃料よりも太陽光が素晴らしいといって作られたメガソーラーが、どれだけ環境を破壊しているかも知っているでしょう。欲望はどんどんと増長し、その欲望を満たすために、際限なく突き進んでいるのが現代人です。もしかすると既に何かしらの粛清や淘汰が始まっている。そんな風に思う事もあります。
今世に起こっている問題は、そうしたメガソーラーやレアアース云々ではありません。「欲望」を基本に、それを人間の生きる根底に置いて、「欲望」の充実を目指し、それを発展として、美徳としている人間の「心」にこそあるのではないでしょうか。
この欲望の連鎖を断ち切らない限り、ウイルスパンデミックも災害も次々に起こり続けると私は考えています。どこかに富が集中するという事は、どこかに奴隷のような人が居て、壮絶な搾取があるという事です。その現実を、もう皆がネットを通じて判っていながら、自らの目の前の欲望にだけ目を向ける。

織姫と彦星の時代からずっと、人間は快楽を求め、そこに溺れ、今まで続いているのです。天の川伝説は、二人が快楽に走り仕事をしなくなった、その戒めとして年に一度だけの逢瀬を許すというものです。今の人類は、その戒めを忘れ、欲望をたぎらせ、自分が生活させてもらっている大地を、自らの手で破壊しまくっている。そしてその結果としてのパンデミックや災害に次々と襲われている。
技術や知恵で何とかするのではもう遅い。その根本にある心を変えない限り、どうにもならない所まで来てしまったのかもしれません。

今から原始時代に戻る訳には行きませんし、現実的ではないですが、人類はどうやって欲望と自然との折り合いをつけ行くのでしょう。
私自身ネット技術のお陰で、仕事が出来、作品も海外の方に聴いて頂いています。もう簡単には後戻りはできないでしょう。しかし今この状態から、今後を持続させて行く為に、先ずは自分から、生活の方向性を考え直すしかもう道はないように思います。
現代はすべてがエンタテイメント。つまり欲望の充実です。そんな思考、哲学、仕組み等々、今迄の人類が良しとしてきた「心」そのものを変える事が人類には出来るのでしょうか。

今日は東京に激しい嵐が来ました。雹も振り、かなりの激しさでしたが、その様を部屋の中から見ていて、今未来へ向けての起点に立っているのだと実感しました。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.