喫茶逍遥

もう梅雨入りですね。毎年梅雨の時期は大忙しで、てんてこまい状態で飛び回っているのですが、今年はのんびりと家で過ごしています。こういう年があってもいいなと思ってはいるものの、何だか刺激が少なくて、ぴりっとしないですね。しかしまあ、この間書いたように、今年は何故か琵琶のレッスンをする機会が結構多いので、少し頭を切り替えていきます。時の流れに沿って行くのも必要ですね。

2018年6月2日「日本音楽の流れ 琵琶」於:国立劇場

私は、いわゆるコーヒー党でして、東京に来てから、喫茶店を巡るのを趣味にしていました。今でも時間さえあれば、色んな街に行くついでに個性的な喫茶店を探して入るようにしています。今は、コーヒーチェーンのお店も多くなり、昔のような個性ある喫茶店は少なくなって来てはいますが、なかなかどうして、各地にいい感じのお店がまだまだあるんですよ。先日も琵琶樂人倶楽部常連のTさんと喫茶店の話で盛り上がりました。かつての喫茶店文化が無くなりつつある現代に、もう一度ゆっくりとコーヒーを味わい、語り合う時間を取り戻したいものです。という訳で、今日は喫茶店のお話を少しばかり。

ヴィオロンSPコンサートにて

私は東京に出て来てから、コーヒーを飲むようになりました。そのきっかけは水です。私がそれまで静岡で普通に飲んでいた水とは、明らかに違うものを感じたのです。東京の水でお茶を飲む気にはなれず、お茶よりコーヒーという風になって行きました。以来毎朝豆を挽いて飲んでます。ミルももう何代目かな??。

18歳になって、静岡から杉並の高円寺に移り住んだのですが、日々の食い扶持を探すために、先ずはアパ-トの近くにあった「グッディーグッディー」という喫茶店でアルバイトを始めた私は、そこでコーヒーの淹れ方を教わって、コーヒーの味を覚えて行きました。世にコーヒー好きがこんなに居るんだと初めて知りましたね。

当時のアパートは風呂もトイレ(共同)も無い四畳半でした。現代の若者には考えもつかないと思いますが、当時は皆が同じようなもんでしたし、高円寺には明日のロックスターを目指すバンドマンが全国から集まって来る「ロックの聖地」でもありましたので、仲間も多く楽しい日々でした。当然皆お金もろくに持っていなかったのですが、日々色んな喫茶店に集まってはコーヒーを飲みましたね。特にジャズ喫茶は私の青春でした。あの頃は、お酒を飲む習慣が無かったですし、大体お酒を飲むようなお金自体を持っていませんでした。一杯のコーヒー位が、その当時の私の身の丈だったのです。でも全然ひもじいとも感じたことが無かったですね。あれが若さというものなのでしょうか。友人なんかと待ち合わせると、2時間くらい前に待ち合わせ場所の街に行って、近くを歩き回って喫茶店を見つけるのが常でした。暇だったんですね(今も同じか?)。

私が上京した1980年代は、世の中がバブルまっしぐらの頃でしたので景気が良かったのか、儲け関係なく趣味でやっているような良い感じの喫茶店が、どの町にも2つや3つはありました。また超オールドスタイルの喫茶店なんかもまだまだ残っていました。
左の写真は、中野にあった伝説の名店「クラシック」。ここでオーナーの美作七郎さんから薫陶を受け継いだのが、いつも琵琶樂人倶楽部をやらせてもらっている阿佐ヶ谷ヴィオロンのマスター寺元さんなのです。マスターは若い頃から美作さんについて音楽やオーディオの事を勉強したそうです。だから「クラシック」によく通っていた私としては、そのヴィオロンで琵琶の会を始めることは、願ったり叶ったりでした。
ちなみにヴィオロンのアンプやスピーカーはすべてマスターの手作り。そしてケーブル一本に至るまでこだわりがあり、日本に数台しかない蓄音機クレデンザもあります。当時は家一軒買える位の値段だったと言われていますが、マスターのこうしたこだわりは、大いに私と相通じるものがありまして、マスターとは音楽は勿論、オーディオの話でも多々アドヴァイスを頂き、もう14年に渡り毎月お借りしているという次第です。
中野「クラシック」のような喫茶店は、もう少なくなってしまったのですが、当時の喫茶店には、俗世間とはちょっと離れた、独特のゆったりとした時間の流れがありました。大体当時はバブルとは言え、現代に比べると社会自体がずっとのんびりしていましたね。なぜ今は皆さん、食事中でもスマホを離さずにメールチェックしているのでしょう。そんなに追い立てられるように生きなくてもいいのにね・・・・。

私にとって喫茶店は格別な時間を過ごすとっておきの場所。だからコーヒーの味は勿論、店の雰囲気も、そこに流れている音楽も、スタッフの人当たりも、総てがその場所を構成する大事なものなのです。最近は味にこだっわったコーヒーのお店が増え、若い世代が頑張っていますが、お店の雰囲気となると、じっくり時間を過ごせるところは少ないかな・・?。
以前このブログで、行きつけのジャズ喫茶が閉店したことを書きましたが、当時はとにかく、しょっちゅう喫茶店に行きました。下北の「マサコ」、表参道の「大坊」等々想い出も多いです。今でも神保町の「ミロンガ」や「さぼうる」、西荻の「どんぐり舎」「物豆奇」、吉祥寺の「くぐつ草」、国立の「ロージナ」なんかには時々行きます。最近ご無沙汰ですが、「大坊」の魂を受け継いでいる新橋の「草枕」もよく行っていました。銀座や北千住にも良い喫茶店が結構ありましたね。ネットも携帯電話も無い時代、喫茶店で待ち合わせて、ゆっくり話をしてコミュニケーションをするのが日常だったのです。
私は基本的に喫茶店で食事はとらないのですが、一杯のコーヒーで、色んな話を延々として過ごすなんてことは、今のセンスでは考えられないのでしょうね。でも私にとって喫茶店は、隠れ家みたいで、自分が穏やかになれて、色んな発想が浮んでくる空間。そんなお店が私を育てたともいえると思っています。
日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師の津村禮次郎先生と

現代社会は、どうも「普通」というものを強制するようになってしまった、と私は感じています。自分だけの時間を大切にして、自分に向き合い、自分の個性のままに生きる事が現代人はとても苦手なんじゃないでしょうか。世の流行りとか、学校で習った事などではなく、自分だけの楽しみを見つけて、自分なりに楽しむ。そういう事がとても下手なように思えます。習ったことがどうあれ、今の流行がどうあれ、私はこれが好きなんだという所をもっと表に出して良いんじゃないでしょうか。邦楽も定番に縛られていたら、新しい世界は見えて来ません。面白い事にどんどんチャレンジして行く位でないと・・。それはそのまま柔軟な頭を育て、且つ自軸で生きるという事にもつながって行くと思います。

私は東京に出てきて、喫茶店で仲間と話したり、ジャズ喫茶で一人音楽に浸ったりしながら、自分のやりたい事を発見し、確信し、自分の生き方を探していたように思います。
琵琶樂人倶楽部にて、メゾソプラノの保多由子先生と

今でも私は気の合う仲間と、良い感じの喫茶店を見つけて、ゆっくりおしゃべりする「お茶の会」を時々続けていますが、雰囲気の良い喫茶店が、生業としてやって行くのが難しい時代になりましたね。
効率ばかりを求め、目の前の成果しか見ようとしない世の中に次代があるとは思えません。ゆったりと時を過ごし、大きな視野で物事を考え、行動して行く。一見無駄とも思えるような時間を過ごせる位でないと、ものは創れません。仲間と話している中で発想が生まれ、何かを発見し、舞台につながることも沢山ありました。目の前しか見えないようでは次世代のヴィジョンは描けません。時代の流れに振り回されるのではなく、皆がゆったりと豊かな時間を過ごし、じわじわと魅力を発揮するような音楽が溢れる出る時がまた来て欲しいのです。

「お茶の会」お勧めです。

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