世の中また騒然としてきましたね。干支では今年は60年に一度の庚子という年という事で、一つのものが終わり、そしてまた新たなものが始まる、そんな年だそうです。まあ60歳を還暦という位ですから、60という数は、何か一回りという事なのでしょうね。
これまでの一回り、つまり60年間の日本は、高度成長に始まり、バブルもあり、また急激な衰退もありった、かなり落差の激しい60年でしたが、良い時期の幻想ばかりを追いかけていても、今後は上手く行かないでしょうね。これは私個人の問題としても、この所大いに感じる部分です。もう身体も精神も、次の段階へと脱皮して行かないと、苦しくなるばかりだろうと思うのです。

座高円寺にて、戯曲公演「良寛」公演。津村禮次郎先生と。来月同じ場所で再演します
とはいえ、私も昔から引きずった届きようの無い想いはいくつもあります。頭では新しい時代に切り替えて行こうと思いつつも、なかなか心の奥底には、おいそれと変わることが出来ないものが、誰しもあるのではないでしょうか。そもそも想いというものは、対象が手元から遠く離れていて、届かないからこそ湧き上がる感情です。しかしこのような状況では、以前の頭で、夢よもう一度と想っていても、世の中の土台そのものが変わって来ているので、なかなか難しいです。
想いを持つという事は、次のステップを頭に描いているとも言えますし、第一歩を踏み出すきっかけともなりますので、とても良い事ですが、いつも書いているように、どこを見て、何を考えているか、こういう時代なると、一層そういう部分が問われますね。底の浅い目の前の欲望に囚われ、過去を引きずっているようでは、想いは届かないでしょう。

音楽の在り方が大きく変わるのは目に見えています。こればかりは急激な変化が出てくるでしょう。それは今迄もその兆候が見えていたのですが、今年のこの一連の流れで、はっきりしました。
琵琶についていえば、弾き語り専門の方は難しい状況です。私の様に器楽中心でやっていれば、小さなライブなど機会は細々とありますが、歌手には受難の時代ですね。これから琵琶樂がどのようになって行くのか。注視して行きたいと思います。
ただこういう急激な刺激と破壊を外部から突然に与えられたからこそ、初めて見えてくる部分もありますね。今は、ある種現代のダダイズムの嵐の中にほおり込まれたともいえると思いますが、私は改めて器楽としての琵琶樂を推し進めて行こうと、気持ちを新たにしました。
この自粛期間に4曲の新作が出来上がりました。デュオ2曲、ソロ2曲。いい感じです。もうすでに試演のような形で何度かやってみて、推敲を重ねていますので、今後のレパートリーになって行くと思います。今年中にはもう1曲創って、次のレコーディングへと繋げたいですね。あと2年くらいの間にはまたアルバムを制作したいと思っていますが、私は常に新作をレコーディングしていて、こなれた見事な芸をCDにするという志向はありませんので、次回もバリバリの新作を引っ提げて創りたいですね。

沙羅双樹Ⅲレコーディング時 Vnの田澤明子先生と
これが完成すると私のCDも10枚となり、大体一回り。つまり「環」が完成し、また次へと展開して行くと思います。そのためにも身体や精神の部分をもっと充実させていかないといけません。勿論資金集めも大事な要素です。幸い良き仲間にめぐり逢い、お付き合いを頂いていますので、構想は大体出来上がっています。もう少し楽曲を充実させると、一気に実現して行くと思います。
琵琶樂は未だ珍しい極東の民族音楽という所から抜け出せていません。私はもう世界に向けて発信している以上、ジャズやクラシックと同じレベルで舞台に立ち、同等に活動を展開して行きたいのです。それは琵琶を手にした最初からずっと思っていました。

日本橋富沢町楽琵会にて photo新藤義久
まあ不器用なたちなので、時間もかかり、何事もすぐには成就しないのですが、自分のペースで確実に想いを遂げて、この思いを時代の中に届けたいと思います。乞うご期待。