始まりはいつも霧の中

世は未だコロナウイルスから解放されず、災害、選挙と目まぐるしい程に激動していますね。どこまで行くのでしょう。

一朝さんが代表をしていたアンサンブルグループまろばし 2009年川崎能楽堂
この時期になると、9年前に亡くなった尺八の香川一朝さんを想い出します。時の流れは本当に早く、この9年の間にはH氏や母、そしてお世話になったS藤さん、H川さん等々何人もの方々を次々と見送りました。人間の命は有限なんだと毎回思い知らされ、そんな風に思っている私が、現世の中で鬱々と年を取って行く・・・・・。鈍感な私もこれからの人生というものを考えるようになりました。

この世は「虚仮」などとも言いますし、最近では仮想空間やマトリックスなどと表現する人も多いですが、確かに法華経などを少し読んでいますと、そのようなことが書いてありますね。私はあまり哲学的なことは解りませんが、この現世では、自分が何を考え、何処を見ているかで、全く違う世界が目の前に広がって行くと私はずっと感じています、レイヤーという言葉も最近はやりですが、同じ現実に居ながら、全く違うレイヤーに生きている人が居るんだなと、よく思います。音楽家でも、同じジャンルをやっていても、まるで違う世界を感じている人をよく見かけるようになりました。まあこの世は仮想現実と言われれば確かにそうかもしれませんね。

現世を旅立つというのは、この複雑混沌とした現実を離れ、肉体という制約も離れ、何もかもから解放され、本来の姿に戻って行く事なのかもしれません。

人間が生を受ける最初には、何かのルールを与えられて生まれ出てきます。国籍、人種、性別、地域、時代、環境等々、自分で選ぶことは出来ません。それらのルールに従いながら生きることが、生活するという事だと思っています。最初から輝くような人生を送る人もいるかと思いますが、皆大粒の涙を流しながら、その中で文化を育み、社会を創って行きます。これが運命という事なのでしょうか。いつも書いているように、運命に導かれているうちは良いですが、引きずられてしまうと、とても苦しいことでしょう。やはり気持ちよく人生を歩みたいですね。それには、この現世の中で、自分が何を観ているかという点にかかっていると思っています。目の前の事しか見えないいわゆる「見の目」よりも、五感で感じ取る「観の目」が鋭い人は、そんなルールの中にほおり込まれても、自分の道を見つけて行くのではないでしょうか。
昨年のあうるすぽっと公演にて Photo 山本未紗子(BrightEN)

私は私の世界を生きて行くしかないですが、最近は年のせいか、変なプライドも無くなってきたし、「自分は自分」という気分になって、かえって世界が広く見えるようになりました。しがらみにからめとられている内は、自分が囚われている事すら判らないままに過ごしていることも多いかと思います。
若い頃の私は、自ら自分に「こうあらねば」というルールを課していて、常に何かと戦い、それをまたエネルギーとしているような感じでした。でも幸いに琵琶を始めてからは、早い段階で組織から抜けて活動し出したので、自然な形で自分の音楽を創り奏で、自由に活動をやって来れました。言い方を変えると、自分の居るべきレイヤーを早々に見つけたという事でしょうか。今思えば、そのレイヤーに自由に生きていられたのも、両親は勿論、一朝さんやH氏等、守ってくれる方々に恵まれていたんですね。だからこそ、毎年多くの仕事に恵まれ、収入も得ることが出来、今こうして琵琶を生業として生きていけている訳です。今でも守られている感じがするのですが、こうして年をくってみないと判らない、見えないことは多々ありますね。

世の中はめまぐるしい程にどんどんと変わって行きますので、自分が何かに強く囚われていると、あっという間に自分の居場所がなくなってしまいます。音楽家だったら、マイクロフォンやレコードが出現した時も、それまでの価値観が通用しなくなって、途方にくれた人も多かったと思います。マイクありきでどんどんと音楽が創られ、レコードを通して人々が音楽を楽しむようになって行くと、従来の価値観や技でやっていては、ライブもレコーディングもまるで対応出来ないなんてことも多々起きたでしょう。
これからの世の中も、同じようなことが起こって行くような気がしています。しかしこうしたことは太古の昔から人類は経験してきたのです。文字の発明なんかもそうですし、政治的な所では平安から鎌倉に変わった時など、まるで世の中の価値観が変わって、貴族などは右往左往する人が沢山いたはずです。それでも時は無常なまでに進んで行きます。世の中は人間に合わせて進んでくれません。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

今はその急激な変わり目に来ているのでしょう。大きな変化をどのように見ているかで、随分と生き方も変わります。変化の最初はいつも霧の中を彷徨うのです。そこを乗り越えて行かない限り、先には進めない。ものすごい戦いをしながら乗り越える人もいれば、すんなりと乗り越える人もいる。その人の見える現実(レイヤー)によって、それぞれ乗り越え方も違うと思いますが、皆少なからず戸惑い、失敗し、躓きながら霧の中を進むしかないのです。最初から輝かしい晴れ間はやって来ないのです。

私は何事にも時間がかかってしまう、大変不器用なたちなのです。新曲を創っても、何度も舞台で失敗をして、やっと形になるという体たらくなので、この先も、
音楽だけでなく何事にもずっとこの調子でやって行くと思います。このコロナ禍にあって、こういうスローペースのスタイルが通用して行くのかどうか判りませんが、もし通用するのなら、私はまだこの現世に生きる使命があるという事だと思っています。

そんな中でも、毎月の琵琶樂人倶楽部も再開し、この所は小さなライブをいくつかやり、今月はあうるすぽっとの公演(無観客配信)、来月には戯曲公演「良寛」の舞台等が入っています。当分大きな演奏会はなかなか出来そうにないですが、この急激な変化にどう対応して行くか、正に私の器が問われますね。
明日は第151回の琵琶樂人倶楽部です。今回は樂琵琶のお話などする予定です。私に出来るところを、先ずはやって行くところから始めて行きます。

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