
世の中雰囲気が変わりましたね。今後がどのようになって行くか心配ではありますが、とにかく動き出してきたのは良いことだと思っています。私も6月からは色々と演奏会が入っています。琵琶樂人倶楽部は6月でちょうど150回を迎えますし、小さなサロンコンサートやライブ等々、ようやく少しづつですが、日常が戻ってくる感じです。それからもしかすると、また「良寛」公演が月末には実現するかもしれません。津村先生の他、今回は新たなメンバーも加わっての開催となりそうです。今年は9月の横浜能楽堂での津村先生との会が流れてしまいましたので、楽しみです。
急に世の中が動き出すとウイルス感染の第2波が心配ですが、総合的に考えると、これ以上のロックダウンや自粛状態では、ウイルス以外の要因での問題が増えそうな気がします。ソーシャルディスタンスやオンラインでのレッスンなどが加速する事で、人間本来の信頼関係やスキンシップがなくなってくるのは別の多くの問題に繋がるような気がしてなりません。確かに命には代えられないのですが、ただ生きていれば良いというものでもありません。疑心暗鬼でロボットのような人間が生きていても世の中は成り立ちません。現代はともすると思考優位で肉体性が無くなってしまいがちです。加えて潔癖脅迫症が蔓延しているような世の中では、生き物が生きてゆく上で破綻が見えています。
ネット上では多くの識者の皆さんが、今後のAiの発展を念頭に次の時代を語っていますが、私にはどこか違和感をいつも感じます。あちこちで爆発的なAiの進化による世界の事を聞きます。しかしそのような状況の中で「人間がいかに生きるべきか」という哲学を語る人はほとんどいませんね 。
バブルの頃と同じで、何でも欧米スタイルに憧れ、流暢に英語をしゃべり、先進国を飛び回り、どうすればシステマチックに合理的に仕事をこなすことが出来るかについては盛んに勉強されていますが、四季の風情などに心を乗せて行く感性は無駄だとばかりに皆さん眼中に無いですね。今第一線の政治家やビジネスマンで、日常的に和歌を詠む人はほとんど居ません。それは必要ないと思っているからでしょう。
しかし今までの「環境を破壊して物を作って行く」感性から、自然と一体化して共に生きて行く感性こそが、今後は重要な要因になってくるかもしれません。弱い所から搾取することで一部の人間が贅沢三昧で生き延びる資本主義のやり方は、「常に格差を世界のどこかに作り出す」方法です。これでは経営でよく言われるサスティナビリティー(持続可能性)はかなり低いのではないでしょうか。それよりも世界の国々と共に分かち合うやり方をした方が、環境破壊もせず、争いをせず、つまらない欲望をたぎらせることなく、幻想に支配されず、平和で、無駄なものを作り出さないで、総合的に一番効率良く人間が幸福感を感じて行けるかもしれません。
私如きには、何が良いか判りませんが、少なくとも言えることは、これまでのパワー主義、グローバルスタンダードという考え方自体が先進国中心の消費主義な訳ですから、その根底にある搾取の構造でものを考えていたらもう後がないという事です。
Aiは新たな感性と哲学の上に立って、初めて進化して行くものであり、これまでの覇権主義の延長で進化して行ったら、ターミネーターの世界しか待っていません。シンギュラリティーなどと横文字を並び立てて語るなら、先ずはその根底の哲学を語らない限り、明るい次代の姿は見えて来ません。今すぐにでも根本的な哲学・感性の転換が必要だと思うのは私だけではないでしょう。それともまたガンジス川やヴェネツィアの運河をドロドロに汚し、アジアやアマゾンの森林を焼き尽くし、世界の海を汚染し、大都市の大気汚染で癌になり、ジャンクフードでメタボになった体をサプリでダイエットするような世の中に戻りたいのなら話は別ですが・・・。
大国による覇権争いを繰り返し、経済、軍事によるパワーバランスで世の安定を保ち、世界中(先進国の事)どこにいても色んな物が手に入り、どこにでも行くことが出来、エンタテイメントを享受することが「豊かさ」だと思う感性のまま進んで行ったら、第2第3のコロナウイルスはまたすぐ確実にやってくるでしょう。目の前の欲望を満足させることを出来るのが本当に「豊かさ」でしょうか?。その発想では、地球の裏側の野菜が国内産の野菜より安く売っているという現実がおかしいと思わないし、毎日気軽に飲んでいるコーヒーの裏側にどれだけの搾取があるのかも感じようともしない。
今の私達の暮らしは、その背景に信じられないような過酷な労働力が無ければ実現しないのです。それは犠牲を強いることで成立する生活であり、その頂点のセレブという姿に憧れて、追いかけているその貧弱な感性はやはり歪んでいます。メディアに洗脳されているともいえるかもしれません。よく考えれば、どこか変だとは思いませんか?。労働力だけでなく地球環境をも犠牲にして得た、目の前の楽園幻想は、このまま続けていたらどうなるか、それがもう判らない程人間はおろかになってしまったのでしょうか。

日本橋富沢町楽琵会にて 私の琵琶を作ってくれている琵琶職人 石田克佳さんと
これを機会に現実に目を向け、今後世界全体が持続可能な社会になるよう、その感性、発想、構造から変えて行くようになって行くと嬉しいですね。そしていつも書いているように新時代には新時代のリーダーが必要です。明治に永田錦心という方が居て、昭和に鶴田錦史が居たからこそ、今私が琵琶弾きとして生きている。前時代の延長上にしか視線を向けられないリーダーでは、次の時代は創れないのです。時には以前のものを壊して行く勇気がなければ、時代は動きません。琵琶樂の世界は、昭和の鶴田錦史の登場以降、それが出来ませんでしたね。残念です。世の中が今後が良い方向に向かうことを期待しております。
さて、来月の演奏会に向けて、準備開始です!!