梅雨空と琵琶の音と

すっきりとしない雨の日が続きましたね。東京はやっと晴れてきましたが、大雨が降っているところもあるようなので、充分に注意をしてください。

大雨の災害は困りますが、私はどうも雨の日になると感性が開くようで、雨の日には気持ちも身体もぐっと落ち着きます。毎年6月から7月の梅雨時期が、何故かやたらと忙しいのですが、今年はそれも一段落着いて、思索・創作に心が向かっています。読みたい本もいくつもあって、特に森有正の著作はまだ読みきれていないものも結構あるので、こういう時期にじっくりと読みたいです。また以前からどうしても創りたいと思っていた作品もソロ、デュオ共にありますし、その他仕上げないといけない譜面も多々ありますので、ちょうどいい環境になって来たという訳です。

またこの時期は琵琶に気を使います。楽器だけは常にベストな状態にしておかないと、私の気持ちが落ち着きませんので、こればかりは仕事の少ない時期でも怠る事は出来ません。
私の楽器は塗装をしていないので、ボディー・絃共に湿気には敏感に反応します。樂琵琶の方はサワリが無いので手間はほとんどかかりませんが、薩摩琵琶はサワリの調整次第で、全く鳴らなくなってしまいますので、常に手をかけて調整してあげないと、使い物になりません。とにかくその調整があまりに微妙でして、例えれば、言うことを全く聞かない子供を連れて歩いているようなものです。途中で泣き出すわ、ブーたれるは、我儘言うは、もう時々本当に疲れてしまいます。

こんな調子ですので、丸一日琵琶の調整をやっている事がよくあります。私の部屋には頻繁に使う琵琶が約五面、その他あまり使わない標準サイズのものなど全部で10面ほどの琵琶が鎮座していますので、サワリや糸のメンテナンスもそれなりに時間がかかります。昨日も一日、分解型の糸口の調整、他中型のサワリの調整などで終わってしまいました。
「みずとひ」にて能楽師の安田登先生と
私は何事に於いても、常に身の周りのものから「勢い=エネルギー」を感じ取って、それに対処しています。激しい人も、静かな人も、夫々エネルギーに満ちている人は、伝わってくるものがありますね。これは楽器からも、もちろん音楽からも同様に感じる部分です。
最近は若手の方々とも、よく御一緒するのですが、勢いを感じる人が多いですね。邦楽界は別として、他の芸術分野には、粋の良い連中が沢山いますよ。自分の行きたい道を嬉々として歩んでいる若者の姿は見ていて気持ちの良いものです。はじけるように自由に動き回るのは、やっぱり芸術家の基本ですよ!!!。勿論先輩方々でも凄く勢いを感じる方も結構いるのですが、若さ特有の華というものは確かにありますね。それが時分の花というものでしょうか。

楽器も同じで、出来上がったばかりの楽器は若い音がします。それはつまり若いエネルギーを発しているという事です。私の手元にはもう100歳越えの楽器や、70歳程度のものもありますが、メインで使っているのは20歳~15歳位のものですので、今が一番盛りの時期で、パワーが漲っています。私はいろんな所に琵琶を持って行き、様々な環境(時に過酷な状況)で演奏しますし、演奏スタイルも、消え入るような繊細な音から爆発音まで「鳴らしきる」のが私の流儀でもありますので、物理的な楽器の力強さも大切です。

大正時代の琵琶(石田克佳さんのお爺様の作品とのことです)

現在私が所有している楽器は、ベテランから粋の良い若手迄、とても良いラインナップで、演奏家の環境としては良い感じですが、夫々気持ち良く鳴っている時もあれば、静かに沈黙している時もあります。楽器も音というエネルギーを発する以上、生き物と同じですので、その時々で表情が違います。メインの塩高モデル中型二面、大型二面、樂琵琶のレギュラーメンバーは、常にフル稼働していますが、やはり夫々コンディションがあるようなので、調子を見ながら使う楽器を選んでいます。

琵琶は西洋の楽器と違って、メンテナンス性がすこぶる悪いのです。サワリだけでなく、絃高の調整も、柱を全部取りはずすか糸口を削るか、はたまた覆手を取り外し接地面を削って角度を変えるかしないと絃高一つ変えられません。もちろんここまで来ると職人レベルの仕事なのですが(私はほとんど自分でやります)、ギターならネジを回すだけで事足ります。サワリの調整など家で完璧にやって来たつもりでも、演奏会場に行くと何だか一箇所音が曇っていたり、鳴らなかったりする事はしょっちゅうですし、場によってはどうやっても響いてくれない時もあります。まあとにかく手が掛かるのです。
当然ですが、サワリ調整のために柱を削ればどんどん低くなってしまいます。低くなれば音程も合わなくなります。音程を合わせるには一度柱を取りはずして、位置を変えないといけません。上手く外れないことも多いし、高さ調節の為、下部に板を足してやることも必要となります。

塩高モデル中型2号機

特にこの中型琵琶とは、日々格闘していると言っていいですね。本当に手が掛かります。しかし時々とんでもなく素晴らしい音で鳴り響いてくれる事があるんですよ。そういう時は惚れ惚れしてしまいますね。かと思えば、どうやってもチューニングが合わず、サワリの音も伸びず、ご機嫌斜めの時もあるのです。以前お坊さんに、この
中型2号機を診て貰った所、女性の魂を持っている楽器らしいのですが(年上の姐さんとのことです)、なかなかの気分屋さんで樂琵琶とは偉い違いです。

それに引き換え大型琵琶は大変しっかりと安定していまして、家で調整をしていけば何処へ持っていっても確実に響いてくれますし、サワリも安定しています。弦長が長いと安定するのでしょうか。それとも作りがかなりがっちり出来ているからなのでしょうか・・・。いずれにしても、さすが家長の風格です。海外公演には何時もこの大型を担いで行きますね。

塩高モデル大型2号機と標準サイズ(塩高仕様)

メンテナンスはサワリ以外にも細かい所に気を使わないと、鳴ってくれません。私のように器楽としての琵琶を演奏する者にとっては、糸巻きの状態一つとっても大変重要な部分で、どれか一つが欠けると演奏が出来ません。他の楽器では、こういう事はギターでもヴァイオリンでも極当たり前なのですが、琵琶人は楽器に気を使わない人が多すぎますね・・・・。
しっかりと自分に合う形に調整できる琵琶人は、これ迄数人しか見たことがありません。これはお金を出して職人にやってもらえばよいという問題ではなく、自分の音を究極まで追及しようとする心があるかどうかという事。サワリは毎日調整が必要なものですし、音色も一人一人違うのが当たり前であって、やってもらってそれでOK などと言っているのは、まだ音楽家としてアマチュアという証拠です。

これまでも書いてきましたが、糸巻きのしまり具合や糸口のすべり具合、柱のエッジの処理、絃の状態、撥先の状態、各柱の音程、各柱の高さのバランス、絃と柱の開き具合etc.等々もうキリが無いくらいです。しかしながら琵琶屋さんが全国に一件しかない現状では、それ位自分でやる人でないと自分の音色は出てきませんし琵琶奏者には成れません。琵琶奏者というのは琵琶を弾いてナンボ。声を使わなければ舞台が出来ませんと言うのでは、琵琶奏者とは言えないと私は思っています。声で勝負したいのであれば、琵琶を弾きながら歌う「歌手」ですと言えば良い。「奏者」というからには楽器の演奏でリスナーを納得させる事が出来て、初めて言えることではないでしょうか。

京都清流亭にて、左:笛の大浦典子さんと、中:笛の阿部慶子さんと、右:筝の小笠原沙慧さんと

これだけ琵琶があると、子供を何人も抱えているのと同じです。残念ながら放任主義では何も答えてくれません。毎日手塩にかけて面倒見てあげて初めてこちらの気持ちに答えてくれるのです。これが一生続くのが面倒という人は琵琶弾きには向いてないですね。まあ琵琶奏者の運命宿命というやつです。

これからまたしばらく、琵琶を向き合う日々が続きます。夫々の琵琶が充分に鳴り響いて、良い常態でいてくれるのが、何よりの私の喜びなのです。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.