最近は素敵な音楽に触れると、すぐに涙もろくなってしまいます。まあ感性豊かともいえるかもしれませんが、いい年になったということですかね・・・。特に素晴らしい歌を聴くとたまりませんね。歌はその人独自の声質と心の在りようがそのまま出てしまうので、上手に歌おうとするような邪念俗欲な心が見えてしまうものは、私にはいただけません。何処までも素直で清らかな歌が好きですね。
先日、私のお気に入りのメゾソプラノ ジョイス・ディドナートをYoutubeで聴きまくっている時に、おすすめで出てきたのがこれ。いきなりやられてしまいました。こんなやつが身近に居たら人生変りそうです。
ヘンデルの歌曲は特に好きなんですが、この「Lascia ch’io pianga~私を泣かせてください」(涙のながれるままに と訳されることもあります)は若き日にカウンターテナーのヨッヘン・コワルスキーを聴いて大感激して以来、色んな歌手の演奏を聴いています。久しぶりにガツンとやられました。
これは恋人を想う歌なのですが、こんな清浄な心のままに描かれる曲は、日本には少ないですね。どうしても日本の歌は私小説的、個人的な小さな世界になりがち。もっと普遍的で大きな空に届くようなものはあまり聴いた事がありません。日本には浄土へと旅立つ世界観などもあるのですが、日本の音楽に於いては、大きな世界を感じる曲は少ないですね。
以前「アベ・ヴェルム・コルプス」のイントロ部分をオーケストラバックに演奏させてもらった事があるのですが、大合唱を背にしてステージに居ると、正に身も心も清められるようでした。レ・ミゼラブルやフランダースの犬のラストシーンのような、穢れの一切が消え、清らかな心となって天に召されて行く様な世界観は、八百万の神の日本の風土には合わなかったのでしょうか・・・。
ちなみにディドナートの歌声も是非
バロック時代の伝説のカストラート ファリネッリの生涯を描いた映画「カストラート」を以前観た事があるのですが、あの中でもこの「Lascia ch’io pianga」はとても印象的なシーンに出てきましたね。興味のある方は是非検索してみてください。youtubeにも出ています。
私は、どうしても最期には清浄な世界に行ってしまいます。それは永遠の憧れであり、理想なのです。それは多分に普段の自分が俗にまみれているからでしょうね。
もう25年程前に波多野睦美さんの演奏会に初めて行った時、あの声が耳ではなく皮膚に沁みるように伝わってきて、そのまま包まれてしまうようになったのを今でもよく覚えています。そういうものに触れると、もう駄目ですね。自分の音楽も純粋で大きな世界に心が飛んで行くようなものでありたいものです。タイプは違えど、60年代のコルトレーンやラルフタウナーの澄み切った世界、デビットラッセルのあの淀みもけれんも無いピュアな音色、アルヴォ・ペルトの深遠・・・etc.私には届かない世界なのでしょうか・・・・。

私が琵琶唄に関して、自分で創ったものしかやらないのは、旧来の琵琶曲で、そんな清らかさを感じるものが何も無いからです。ましてや上手に歌おうとしてコブシしまわして得意になっていたり、大声張り上げて、忠義だ正義だと、そんな力やイデオロギーを誇示するようなものは俗の極み。加えて肩書きをひけらかすような姿勢は芸術・音楽の前にあって、俗悪の象徴のようにしか感じられません。何度も書いていますが、琵琶の音色に感激した事は多々ありますが、琵琶唄に感激した事は未だ一度も無いのです。琵琶楽が、感情を吐き出すだけの低俗なものであって欲しくはありません。もっと深く大きな世界を歌い上げるものであって欲しい。そしてそれが「Lascia ch’io pianga」のように、世界中の人が共感できるものであって欲しい。
芸術にはどんな表現があってよいし、形や感性も自由に羽ばたいてこそ芸術だと思います。様式美は確かにあると思いますが、芸術に携わる者がそこに囚われていては、美は現れてきません。またリスナーに、形を強要したり限定するのは、もっての他だと私は思います。
表現形態はどうあれ、その根底に何があるか。そこが大事なのではないでしょうか。芸術が表出するその根源にあるものを、愛という人もいるでしょうし、神という人もいるでしょう。言葉は様々でも、国籍や宗教が違えど、核心の中の核心、本当の人間としての根本は、人が生きて行く上で同じだと思います。
今邦楽にそんな核心がどれだけあるのでしょう。いくらお上手でも、格付けしたり自慢しあったりするような卑小な心では、その妙なる音色は世界に届きようがありません。是非次世代には恋の歌を歌い上げる琵琶奏者が居てほしいですね。恋の歌こそ、何処までも清らかでなくては。そんな曲がどんどんと創られて行くと良いですね。
琵琶唄が哀れや悲しいという歌ばかりでなく、「涙の流れるまま」に愛を語り、届け、そんな心に共感・感動できるようなものになったらいいですね。