
今は無き吉野梅郷の梅花
(左) 今年の皇居の梅(右)

早1月も終わり、2月に入ると、毎年何ともいえない時の流れの速さを実感します。梅の花も気になるのですが、同時に花粉も気になるこの頃ですね。まあこういう時期には、家に篭って作品を作っている訳ですが、うとうととしながら妄想を逞しくしてあれこれ考えているせいか、毎晩色んな夢を見ます。
私はこんな稼業ではありますが、生活はわりと規則正しい方で、12時頃になれば眠くなり、朝は7時には起きるという、およそ音楽家らしくない真面目(?)な生活をしています。そしてほとんど毎日、荒唐無稽な夢を見ます。何故なのかは判りません。怖い夢はほとんど見ないのですが、最近はもうずっと逢っていないような友人知人が出てくる事が多くなりました。
私には夢判断は出来ないし特殊能力も無いので、それらの夢が何を示し伝えているのかは、一向に判りませんが、見た夢を思い出してみると、その内容は普段から思っていること、感じていることに大体沿っているような気がしています。そう思うと自分にとって今一番やりたい事は何なのか、足りないところは何なのか・・・・見えないこともない・・・?。


山頭火・鴨長明
私は子供の頃から、山の中でひっそりと暮らしたいという隠遁主義みたいな部分を多分に持っていまして、西行や鴨長明、尾崎放哉、山頭火などにはどうにも惹かれてしまうのです。現代社会は、人と人がちょっと近過ぎる。SNSで繋がっていないと孤独を感じてしまったりするメンタリティーは、私にはちょっと異常なものに感じますね。
もちろん都会の喧騒の中に身を置いているからこそ、音楽活動が展開して行くのは重々承知していますが、人間はもっと静かな時間を過ごすことが基本的に必要なのではないか、とよく思います。個としての存在があるからこそアンサンブルが豊かになるのであって、個の自立や孤独に目を瞑って、目の前の楽しさを追いかけ、振り回されていたら、質の高いものは生まれて来ないし、世の中も良い方向には行かないと思うのは私だけでしょうか。
音楽がやたらと派手になり、音数が多くなってきているのも、時代の流れであると共に、人が自分の時間を静かにゆったりと持つ事がだんだん出来なくなってきている表れではないか、と思うこともあります。


ダンス:牧瀬茜、Asax:SOON・KIM
映像:ヒグマ春夫
映像:ヒグマ春夫
私にとって、舞台は夢の中そのものとも言えるので、貴い孤独の中で色々と夢想する事と共に、舞台で体験する事は、そのまま夢の記憶の中に蓄積されて行くのでしょう。きっとそうした蓄積が夢となって表れるんでしょうね。また夢に出てくる場面が思いもつかないシチュエーションになって、様々な登場人物が出てくるのは、舞台で出現する異空間を常に我が身に体験しているからなのかも知れません。演奏する中で、様々なドラマを曲の中で創っていますからね・・・。
舞台でも音楽でも、芸術全般に於いて何時も思うのですが、その現場は常に非日常ということです。舞台だろうが、創作している時だろうが、芸術に心を寄せている時は、常に現実を越えているのです。また感性が現実を越えないようでは、ものは見えてきません。自分の喜怒哀楽に囚われて、心が現実を離れないと、自分の身の回りにしか意識が渡りません。そういう心情ももまた音楽を生み出すとは思いますが、時を越え、国境をも越え、共感され受け継がれて行く芸術音楽には成り得るとは思えません。

西行
我々はいわば、音楽をやることで夢の語り手になっているといっても良いかと思います。琵琶の音に、想いを乗せて表現して行くことは、そのまま夢の世界を創っていることと同じなのでしょう。
西行は常に月や花を想い、人生そのものが夢の中にあって、その想いの中で自らの終止符もつけた人ですが、私も起きている間は音楽の事を考え、寝てもまた夢を見ている。つまりしょっちゅう夢の中に居るという訳です。西行のような芸術的センスもレベルも無いですが、同じような人生なのかもしれません。
なるべく長く夢を見ていたいですね。夢を見て、夢の世界を創り出す人生も、なかなか気に入ってます。