
河口湖畔の紅葉
秋全開になりましたね。先日は紅葉も綺麗で、早速友人からこんな写真が送られてきました。
先週から続いていた「沙羅双樹Ⅲ」のレコーディングは何とか終わりました。これから一番苦手な編集作業があるのですが、まあとにかく一息つけそうです。ゆっくり紅葉も観に行きたいですね。
プロデューサーの千野さんと打ち合わせ中
今回は初のスタジオ録音ですので、今までとは随分やり方も違っていて、プロデューサーも付いていてくれるし、色々な面で新しい展開になって行くことと思います。琵琶の場合、チューニングがどうしても下がってしまいますので、長い曲では部分に分けて録音しないといけないのですが、今回はわりと一発録りに近い感じで録音することが出来ました。
時代と共にやり方も変えてゆかないと、リスナーは付いてきてくれません。音楽そのものは、どんな時代であれ自分の音楽をあくまでやるのですが、録音の仕方や、発表の方法など時代のやり方に乗ることも必要です。私は琵琶奏者の中ではいち早くHPを作ったり、CDを製作したり、ネット配信をしたりして来ましたが、考えてみれば永田錦心もSPレコードという当時の最先端メディアに乗って世に登場したのですから、私も旧い頭をどんどんを柔らかくして行かなければ、今後はやっていけませんね。幸いプロデューサーやエンジニア、デザイナー等、素晴らしい仲間が周りにいるので、これからも世の移り変わりの中でどんどん自分の音楽を響かせていこうと思います。

周りから見ると、私は樂琵琶も薩摩も弾くし、作曲もするし、あらゆるジャンルの人とも共演するので、器用な人間のように思われているようですが、さにあらず。物事をこなすのに時間がかかる、どいちらかというと不器用なタイプなのです。こればかりはしょうがないのですが、その不器用さを抱えながらも色々なもの、人に出会ってゆくのが私の運命なのでしょうね。20年ほどの琵琶奏者としての時間が、様々な出会いをもたらしてくれたと思っています。もう少し切り替えを早くして取り組んで行きたいのですが、とにかく何事にも時間がかかるのです・・・・。これは変わりようがないですね。
まだデザイン途中ですが、こんな感じになります
今回のCDの内容は先のブログにも書きましたが、1stアルバム「Orientaleyes」の中の代表曲を今の形に再現していることもあって、1stから今回の「沙羅双樹Ⅲ」までの16年という年月を感じる機会がこのところ多くなりました。琵琶のプロ演奏家として活動を始めて20年程ですので、まだキャリアとしてはそんなに長い訳ではありませんが、自分も気がつけば50代。人生はもう後半戦に入っているのです。
今まで色々と自分なりにやってきましたが、人より時間がかかる反面、そのすっきりとしない、うだうだとした時間が多くの思考を生み、その分自分の指針はじっくりと熟成され、この不器用な性質のお陰で益々先端が尖って来ました。時間というものは、自分を育ててくれて、また自分というもののあり様を見せてくれます。自分はどこを見て生きているのか、何をしようとしているのか、何故そうしたいのか。キリがありませんが、時間がかかったからこそ、かえってクリアになったともいえます。

「20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔は貴方の人生」という有名なデザイナーの言葉がありますが、私も50代となり、いつ見ても写真写りの悪いこの顔が私の人生であり、現実なのだとよく思います。何を思い、どこを目指しているか、その心ひとつで、眼差しも体型も所作もファッションも髪形も変わるのです。結局50歳にもなれば、姿そのものにもうその人自身が曝け出されるということでしょうね。
自分以上には成れない。だから自分らしく、ありのままで居ようということです。50年という年月を経たものがこの姿な訳ですから、もうこの姿に責任を持って生きてゆくしかないですね。私という存在は私以外にはいないのですから、人の真似をしたり、何かの権威に寄りかかって自分を大きく見せようとしたり、逆に卑下しようとしたりしては本来の生命は輝きません。
そして年齢を重ねてゆけば精神は落ちついて、充実して行くものの、今度は肉体が衰えて行くものです。私も30代の頃のように何も考えずがむしゃらにやることは出来なくなってきました。お陰様で体型はさほど変わりませんが、体力は相応になってきました。ちょっと残念ではあるのですが、こうやって肉体も精神も成熟して行くんでしょうね。

時間は色々なものを育み、また変化させます。時間が癒してくれることもあるでしょう。時が重なって行くということは、多くの出会いをもたらし、また次ぎへの橋渡しもしてくれます。琵琶弾きとしての20年間が、また次ぎのステージへと歩みを進めるそんな時期に今来ているのだなと、このレコーディングを通して感じました。
哲学者のセネカは「運命は志のあるものを導き、志のないものはひきずってゆく」といっています。私も善き運命に導かれるように、生きたいものです。