春の音色

春爛漫ですね。我が家の近くには都内でも有数のお花見スポットがあるので、よく出かけるのですが、やっぱりこの季節は華やかですね。私はワイワイとしたお花見宴会の風情の無さが嫌なので、早朝か夜遅く、後は平日の昼間にちょっと仲間と行く位なのですが、桜の花を見ていると、華やかさと共に外に向かう沸き上がるエネルギーを感じます。

善福寺川緑地

外は華やかな春ですが、何かと体調も変化する時期でもありますので、春は家に居ることが多いです。その分、一日中音楽を聴き、楽器をいじったり、譜面を書いたりしています。
このところ色々な音楽を片っ端から聴いているのですが、世界の民族の音楽(特にシルクロード関係)は興味が尽きないですね。郷愁を感じるようなメロディーが各国ごと有り、はやりどこかに日本音楽と通じるものを感じます。中東から中央アジア、東アジア、インド、東南アジアなど、書き出すと尽きませんが、本当に人間は豊かな文化を持っていると思えてなりません。
そしてどんな民族音楽でも、最先端にいるものに一番心惹かれます。それは正にLiveであり、生々しい今の音楽として訴えてくるからでしょう。私の好みは洗練されたものの方ですが、土着性の強いものも良いですね。生活の匂いを感じます。ただし土着性の仮面をかぶったものや、邦楽器ポップスのようにショウビジネスに寄りかかったようなものだけはご勘弁を・・。

善福寺川緑地
常々考えているのですが、音楽の世界は円のように繋がっている、と思えてならないのです。日本人は何かと区別したがりますが、地域ごとの独自性は勿論あるものの、それぞれが色々なものとぶつかり溶け合って出来あがっているので、どの民族音楽にも様々な要素が含まれて、何かしら共通したものが受け継がれていると私は思っています。
社会が常に時代と共にぶつかり合い、融合し、変化し続けているのですから、音楽も当然そうなります。今の日本の状況を見てももうクラシックやロック・ジャズを経ていない人など居ません。普通に生きる日本人がこの通りなのですから、邦楽も当然50年前とは違ってきます。三味線などは楽器の音色が50年前と今とでは全く違うと言う方もいます。これが歴史というもの。そういう時代の変遷の中で何を残し、何を継承してゆくか、そこが問われているのです。
生々しい今の日本音楽を創り、演奏して行きたいですね。

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2010年京都清流亭にて

世界に視野を向けたい。最近特にそういう想いが強くなりました。売れるかどうかということより、東京に固執して日本の中だけを見るのではなく、東京だろうが中東だろうが同じような感覚で世界中で演奏したい。そんな風に思うのです。今は世界中どこに住んでいても飛んで来れるのですから、もっといろんな国を旅してみたいのです。小さな枠の中で上手だの偉いだの言いあっているような世界とはずっと距離をとってきましたが、それでもまだまだ自分の視野は小さい。もっと色んな国の文化の中で私の演奏を聴いてもらいたいのです。そんな機会をどんどん作ってゆきたいですね。

昨年は映像やダンス、語りの方、音楽家でも全然違うジャンルの方と随分一緒にやってきましたが、こういう活動を世界を舞台にやってみたいのです。日本がだめというのではなく、毎月の琵琶樂人倶楽部のような小さな目の前の活動も、大きな舞台での活動も、同じように自分の活動としてやっていきたいのです。その活動の範囲を広げたい。世界に広げたい。勿論いつものように曲は全てオリジナル。私の音楽でもって多くの舞台、感性、そして世界と触れ合って行きたい・・・。まあそう思っていれば自らからそうなってゆくでしょうね。

春の華やかさが、大きな希望を運んでくれるようです。

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