にぎやかな風

昨日は琵琶樂人倶楽部第111回「独自の活動を展開する琵琶人達」をやってきました。今回はヴィオロン始まって以来の大入り満員で(といってもキャパが小さいので大した事はないのですが)ぎゅうぎゅう詰めのむんむんの熱気の中での演奏でした。

愛子&龍1愛子&龍 朧月
出演は、おなじみの尼理愛子姐さん&尺八の吉岡龍之介君コンビの朧月、そして琵琶樂人倶楽部初登場の岡崎史紘君に演奏してもらったのですが、お二人とも本当に独自の世界があって、普通の琵琶の会では体験できない。実に面白い内容となりました。岡崎君の写真が撮れなかったのが残念。

また今回は篠笛の長谷川美鈴さんも、琵琶樂人倶楽部初参戦。拙作「花の行方」を吹いていただきました。

長谷川1

長谷川美鈴さん

とにかく自由な発想で琵琶に取り組む人が出てきて嬉しい限りです。ともすると○○流だの、何とか門下だのと枠にはめ込み、それ以外を認めようとしない閉ざされた雰囲気がまだ琵琶の世界には強いので、こういう方々にどんどんと活躍してもらって、風穴を開けていただきたいと思います。またこういう方々を一般のリスナーに紹介する事も私の役目と感じています。

音楽はどこまでも自由であるのが本来の姿。「教育する」ことと「仕込む」ことを履き違えているようなことがまかり通っているようでは希望は持てないですね。音楽をろくに教えないで、技だけ仕込もうとしたって、良いものが出来る筈がない。音楽をやる根本も無くして、自分の色に生徒を染めようなんてことは教育とは程遠いと私は思います。先ず音楽に対する自由な精神や志をこそ教えるべきでしょう。ライブも作曲もどんどん自由にやらせて、先生とは違う音楽を創り出すことを推奨すべきです。そういう中で個性が羽ばたき、また同時に先生からの教えの深さや影響を自分で感じてゆくんです。「あれやるな」「これはだめ」と言いながら先生がろくに活動もしていないのではお話になりません。これでは個性も何も育ちようがないのは当たり前。次世代を考えるなら、音楽は勿論の事、時代と共に教え方も柔軟に変えて行くことが出来なけば、どんどんと人は離れて行くだけです。どんな分野でも変われない組織は滅びるのが世の習いというもの。薩摩琵琶は個人芸でもあるし、もう流派というくくりを取り払う時代に来ていると私は思います。

30年ぶりにお逢いした地元の知り合いTさん
ちょっと話がずれました。
今回は懐かしい人も色々と来てくれました。20年ぶり、30年ぶりで会う人もいたし、舞踊家、パフォーマー、琵琶人、映画関係など芸術に関心のある方が沢山集ってくれたのが本当に嬉しかったです。この琵琶樂人倶楽部が芸術を愛する人達にとって気軽に集ることが出来る場所になってくれるのは嬉しいし、自由な精神が常に溢れる場であって欲しいと思います。10年毎月やってきて、本当にやりがいを感じますね。

永田錦心が明治という新しい時代に、高らかに新たな琵琶楽を立ち上げ、世に響かせていったように、その志を継ぎ、今こそ、新たな時代の琵琶楽が生み出す時です。でなくては次世代に託すものが無くなってしまう。曲は勿論、スタイルも、感性も、やり方も、時代と共に変遷していってこそ音楽。明治大正の懐メロやりたいのだったらまだしも、世界の音楽の歴史の中でも(日本の中でも)一番の長さと深さを誇る琵琶楽を次世代につなげたいのなら、創るしかない!!。時代と共に変わる事ができないのは、変わる勇気が無いからです。新たなものを受け入れられないのは、自分のやっていることが否定されるようで怖いからです。時と共に変われないものが滅ぶのは世の常。ぜひとも永田錦心の志を持った人物がどんどん登場して欲しいものです。

これからも独自のやり方で、新しい音楽を創ってゆく琵琶人を応援したいですね。

さて明日からは福島に行きます。追悼の会ですので、音楽に心込めて捧げたいと思います。また和合亮一さん、夏樹陽子さんとの初共演もしっかり努めたいと思います。
琵琶楽の新しい時代の扉をぜひとも開けたいですね

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