もう年明けという気分も抜けましたね。今年も演奏会が始まり、古武術の稽古も始まり、色んなことがいつも通りにスタートしてきました。

私は一人で活動をやってきたので、なんでも一人とやろうとしてしまうところが悪い癖。しかしよくよく周りを見渡してみれば、私には様々な場面で良きパートナーに囲まれているのです。やっと最近は自分がやるべき仕事と、やってもらう仕事の区別がつき、人にものを頼めるようになりました。
音楽の面では、もう20年近く前から笛の大浦さんの助けを頂いて、多くの作品を生み出して来たのですが、会の運営や、個人の活動に関してはどうも自分で何でも抱え込んでしまう傾向が強かったのです。でもまあ年を取ったのか、最近では色々なパートナーの支えがあってこその自分というのを感じるようになりました。
忍野八海の湧き水
10年続けている琵琶樂人倶楽部では、古澤月心さんはじめ、いつも集ってくれる仲間や、ゲストで参加してくれる人たちにも本当に協力してもらってます。昨年から展開している日本橋富沢町樂琵会では場所のオーナーの小堺さんが常にあれこれと気を配ってくれているからこそ開催できるわけです。そういうパートナーが居てこそ今があるのです。プライベートでも良き仲間に本当に囲まれているという実感が、この所強くなりました。
人間が生きてゆくには、複雑ともいえる様々な側面を持っているものです。仕事、家庭、プライベートなど、本当に多くの世界と関わってゆくのが、現代人の人生なのでしょう。特に私のような特殊な仕事をしていると、多くの人と知り合います。そんな様々なお付き合いをバランスをもって、良きパートナーシップを築いて行くのが、人間力というものなのでしょうね。
今年は尺八の吉岡龍見さんと「Eclipse」というユニットを結成しました。このパートナーシップも今後面白くなって行くと思います。その旗揚げ公演が2月5日、練馬豊島園近くの「季楽堂」で開催されます。古民家を大改装して素敵な空間に甦らせた場所に、琵琶と尺八の豊穣な響きが鳴り響きます。是非是非足をお運びください。午後2時開演です。

音楽家といえども、その人の音楽が響くには、その人の人生があって初めて、その人なりの音楽が生まれ鳴り響くのです。音楽の究極は音色だと私は思っています。声が皆それぞれ個性を持っているように、琵琶もそれぞれの音色が奏でられてこそ命を輝かせる。ほんのわずかなタッチを生み出すのは、単なる技術ではありません。そのタッチは感性であり、どんな感性を持って音楽に接しているかで、出てくる音が全く変わるのです。どんな考え方をして、どんな生き方をしているか。そしてどんなパートナーを持って、日々接しているか。そういうことが全て音色に出てきます。
だから演奏家の音色を聞けば、その人の性格から生き方まで見えてくるのです。「自分が一番」と思っている人は、どうしても一本調子で繊細な表現にはならないし、その逆もまたしかり。鶴田錦史のように、豪快にして繊細、または永田錦心のように繊細にして豪快という魅力的な音色を奏でる琵琶人は少ないですね。

自分の感性は自分で創ったのではなく、周りに育てられた結果です。つまりパートナーに育てられているようなもの。パートナーとの関わりが、「私」を磨き、育て、感性が出来上がっているのです。そしてその感性から音楽が響くのです。お稽古して上手になっただけでは音楽は響きません。音が出ているだけで音楽になっていないのです。古典だろうが新作だろうが、「私」という存在が奏でるからこそ音楽となって響き渡るのです。
パートナーシップは対人間は勿論、環境、時代というところまで広がってくるでしょう。自分を取り囲む全てがパートナー。その中にあって、初めて「私」という自分が成立するのです。仏教では「生かされている」とよく言いますが、こういう部分を忘れた時に、自分も仕事も何も見失う。一人でがんばっているつもりでやっていた若い頃、ここを判っていなかった。今になって、その姿が見えてきます。
良きパートナーこそ宝ですね。