が、久しぶりにお越し頂いた方や初めての方も居て、気軽な感じでやってきました。毎回静岡から新幹線で駆けつけてくれるTさんからは、今回はどうしても参加出来ないということで、電報とお電話を下さいました。ありがたい限りです。

Tさんよりの電報、海老と鯛の絵のコースターが10枚付いてました。
地味な会ではあるのですが、とにもかくにも皆様のお蔭です。これからはレクチャー色を増やしてやって行こうと思います。今後は前回のブログでも書きました「日本橋富沢町樂琵会」と並行して、レクチャーの琵琶樂人倶楽部、演奏の樂琵会という二枚看板で頑張ります。

いつもお越しの常連Mさんが取ってくれた演奏中の写真
琵琶でプロとして活動を始めて約20年。私はちょっと普通の琵琶奏者と違い、どんな仕事でもほぼ作曲込みで演奏の仕事をしてきましたので、本当に色んな仕事をさせていただきました。
薩摩琵琶はまだ歴史が浅く、流派の曲はあっても、いわゆる何百年も経った古典というものが無いのです。ほとんどの曲が古典文学を題材としてはいますが、皆大正から昭和に出来た曲ばかりなので、いわゆる新曲の類です。それらを守るだけではどうにもならない。どんどん作曲して行かないと時代に取り残されてしまいます。軍国時代の曲や忠義の心云々というような価値観の内容を歌っても誰も聴いてくれませんので、どんどん作曲して行かなくては演奏の場が無くなってしまいます。仕事にもなりません。また器楽曲は皆無なので、その分野はこれから私が作って行かなくてはいけない使命でもあります。
私のレパートリーは、スタンダードな弾き語りスタイルのものでも、作詞作曲共にオリジナル。その他の邦楽器や舞踊、演劇、洋楽器との共演などでも既成の曲がある訳ではないので作るしかないのです。という訳で作曲家の作品以外は全て自分が作曲した作品を演奏しているのです。

そういう事情で、塩高に頼めばどんなものにでも対応出来るという訳で、色々とこれまでご贔屓にあやかったと思っています。特に舞踊関係の舞台は活動の最初より毎年関わっていまして、舞踊のテーマや舞台の進行に合わせて作曲・編曲をしてきましたので、良い勉強をさせて頂きました。
こうして活動の節目を迎え、振り返ってみると作曲込みの仕事は自分から売り込んだわけではなく、最初からなぜかそういう仕事が舞い込んで来て、このスタイルが自然と出来上がったのです。まあ琵琶で活動するにあたって、与えられた運命のようなものですね。
クラシックやジャズのように業界全体のキャパシティーが大きければ、古典から現代まで曲があり、愛好者も多い。だから演奏がずば抜けて上手いというだけで充分に生活の糧になるし、仕事も山のようにあり、世界を市場として出て行けます。しかし琵琶のような超の付くマイノリティーの楽器・ジャンルでは、マーケット自体が全く無いので、自分でマーケティングからプロデュース、作編曲、広報や営業活動まで全部やらないと、とても生活の糧にはなりません。簡単に言うと仕事が発生しないのです。

私も最初はそんなことを考えてもみなかったし、上手に成ればよい、とただそれだけだったのですが、どういう訳か、最初から色んなものを求められ、何かの「はからい」なのか、生活の糧にする術を身に付けさせられたのです。
特に日舞の花柳面先生と、数多くの仕事をさせて頂きましたが、先生から舞台の話が来た時点で、すでに作曲をすることが前提になっていて、舞台全体を作って行く形で関わるようにやってきました。だから1曲1曲でなく、舞台全体をプロデュースして行くという感覚は面先生からの影響が大きいですね。今になってみると実にありがたい。正に現代に於いて琵琶人として生きるように導かれ、生かされて来たとしか思えないのです。
節目にはこうして我が道を振り返るのも良いですね。やはりいつもうそぶいているように「生かされている」ということに尽きます。我が道を今生でこうして歩んで行けることに「ありがとうございます」というしか言葉がありません。
さて21日には第2回目の「日本橋富沢町樂琵会」があります。筑前琵琶の平野多美恵さんをゲストに「敦盛対決」をやりますので、是非是非お越しください。富沢町の小堺化学KCIビルの地下1階MPホールスペースにて、19時00分開演です。

そして25日にはヒグマ春夫さんの映像作品に、久しぶりに大型塩高スペシャルで挑みます。こちらは19時30分開演。会場となるキッドアイラックアートホールは、今年で閉館だそうですので、この機会をお見逃しなく!。久しぶりにバリバリの即興で暴れます。
時々振り返ると色々見えてきますね。こういう余裕もないと、前に進めません。まだまだやりたい事が沢山あるのです。