踊る旅人

先日、能楽師 津村禮次郎先生のドキュメンタリー映画「踊る旅人」の試写会に行ってきました。

http://www.nohgakutimes.jp/archives/308

津村先生とは戯曲公演「良寛」では三度共演させてもらって、本当に素晴らしい時間を共有する事が出来ました。特にラストシーンでの樂琵琶と先生の舞だけの8分間は忘れられないですね。そんな津村先生のあくなき追求が良く判る映画になっていると思います。6月27日新宿ケイズシネマにて上演されるとの事ですので、是非観て頂きたいと思います。

28「良寛」ラストシーン
それにしてもドキュメンタリー映画が出来るというのは凄い事ですね。つまりそれだけの充実した仕事をしてきたという事なのでしょう。実は、先日このブログに書いた灰野敬二さんも昨年ドキュメンタリー映画が公開されました。凄い人に囲まれて幸せです。
お二人に共通している事は、目先の売れ線に絶対に行かない事です。あくまでもどこまでも己のやるべき事を貫いている。何を言われようと自分の価値観と美学を信じて、己の求める所に向かって活動をしている。お二人のこういう部分には心底惚れ込んでしまいます。そして大きな力と刺激を私に与えてくれます。私もこういった人生を歩みたい。経済的な事も含め、多くの困難もあると思いますが、自分の行くべき道を只管歩んで行きたいと思います。
歌手のバックバンドをやって喜んでいる人も多いし、タレントのような活動に傾倒して行く人も居ますが、そういうものは私のやるべきものではない。私には私のやるべきものがある。それをどこまでもやって行きたい。

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「良寛」公演にて

音楽以外の所で注目されても仕方がないと私は思います。奇抜で珍しいパフォーマンスで売ったり、肩書きに寄りかかってその力で舞台を張るような、そんな人生は送りたくないですね。琵琶がただの物珍しさで聴かれ、琵琶=耳なし芳一みたいに聴かれるという事はイメージだけで聴かれているという事。音楽を聞いてくれている訳ではないのです。そんなものは誰がやってもいいのです。
パコ・デ・ルシアは、フラメンコという民族色の強い音楽を世界のスタンダード音楽にのし上げました。何故琵琶でそれが出来ないのでしょう?????。意識も知識も技術もまだまだ小さすぎるのではないでしょうか。私は薩摩琵琶でも樂琵琶でも、「こうでなければ琵琶じゃない」という凝り固まっている概念そのものを乗り越えて行きたいのです。

「良寛」公演にて
日本人は個としての自立が出来ていないと言われますが、邦楽でもジャズでもみな、自分がどのグループに所属しているかという事で自分を保っている人があまりにも多すぎる。私は私、あなたはあなた。どんな場に行っても、自分のやるべき事をやればよいし、コンプレックスを持つ必要もない。
音楽家なら音楽で勝負するのが真っ当なのです。それが出来ないから余計な尾ひれで自分を飾るのです。だから私はそういう尾ひれを付けた人とは付き合わない。私がお付き合い頂いている方々は皆さん、何かしら賞も取っているだろうし、名前もあると思いますが、絶対にそういう事で自分を売ろうとしないし、口にも出さない。津村先生も灰野さんも対等の音楽家として常に接してくれます。舞台人はそうでなくては!!。周りの方が、色々はやし立てるのは結構ですが、自分から学歴やらキャリアを口にするのはどう考えても、どんな分野でもおかしいし、そういう輩はろくでもないのは世の常です。

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兎にも角にも、自分の求める所を只管進み、良い仕事をしたいものです。良き先輩達を持って幸せです。

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